祈りの比重を変えようと思いました【マタイ15:2-5】

2024年

わたしの枝で実を結ばないものはみな、父がそれを取り除き、実を結ぶものはみな、もっと多く実を結ぶために、刈り込みをなさいます。

あなたがたは、わたしがあなたがたに話したことばによって、もうきよいのです。

わたしにとどまりなさい。わたしも、あなたがたの中にとどまります。枝がぶどうの木についていなければ、枝だけでは実を結ぶことができません。

わたしはぶどうの木で、あなたがたは枝です。人がわたしにとどまり、わたしもその人の中にとどまっているなら、そういう人は多くの実を結びます。わたしを離れては、あなたがたは何もすることができないからです。

マタイ15:2-5

今日は、次男の学校のPTA総会でした。

何度となく書いている「学校改革」が行われている学校。

長男が小学校の時から、ずっと通っている学校。

私は長くPTA活動に参加していました。

そして今年は、大変な年になってしまったのです。

学校の評議員になりました。

評議員とは、理事の人たち、校長などと共に、学校運営について話し合っていく人の事です。

そしてPTAでも一番の責任者となってしまったのです。

理事長による一方的な学校改革が続く中、

その人たちと私が代表として話し合っていくことになったのです。

韓ドラに出てくるドロドロとした不正がはびこる社会のようなものが、

実際に目の前にあり、

韓ドラのような世界に、自分が存在している様に感じています。

次から次へと問題が勃発し、

しないといけない事が山盛りです。

領事館、私学課(教育委員会)、日本にある韓国の機関、韓国の教育委員会…

これらに助けを求め、知恵を求め、対処していかなければならないのです…

もう本当に、どこから手を付けていいのかわからない(笑)

人と会い、コミュニケーションを取り、理解し合って行かないといけない。

その大役が、今日の総会以降、私となったのです。

もうしないと行けない事が多すぎ、

また、したことがない未知な事が多く、

ため息しかでないのです。

何からどう祈るのが良いのか…

私の願いは、今まで通り、

子どもたちが通う学校が、韓国にルーツを持つ子どもたちの居場所となり、

日本の文化も、韓国の文化も楽しみ、

両国に肯定的な考えを持つ人として成長出来る場所。

それがこのまま残れば良いのに…

しかし今、なくなるかもしれないのです。

私はどのように祈っていくべきなのか。

どのような祈りが主に喜ばれる祈りなんだろうか。

自分の願いを主に求めなさいと言うけれど、、

私は、単に自分の願いを求めるよりは、

主の思いも知りたい。

目の前の問題を1つずつ祈るのにも限界があるのです。多すぎて。

1つずつ、課題を祈ることにも限界を感じ、

思ったのです。

私の願いは、この学校がそのまま残ること。

でもその願いをぎゅっと自分の手で握るのを辞めよう。

どのような結果になるかは、主に委ねよう。

それよりも、私がこの役職になり、

私は今から、

今まで出会わなかった人たち、

話すこともなかった人たちに出会うのです。

だから、私が出会う人たちが

救われるように祈ろう!

もちろん、目の前に迫って来る問題に対して、

知恵があたえられ対処する事が出来るようにと、瞬間瞬間、祈ります。

しかし、祈りの比重を変えようと思っています。

問題に対する対処方法を祈りつつも、

一番、重点を置いて祈ることは「目の前の人の救い」

「私の目の前の人が主を知ること」

ここに重きを置き、祈っていこうと思ったのです。

今日の御言葉は、何度も聞いた事がある「ぶどうの木」の話です。

今日、聖書を読んで、凄くこの個所が新鮮に感じました。

「わたしの枝で実を結ばないものはみな…」という言葉

言葉を返せば、主とは違う枝に繋がっていても、実を結ぶ事が出来る…のです。

また、主に繋がり実を結ぶものは、

もっと多く実を結ぶために、刈り込みをなれるのです。

この部分を読んだ時、

自分なりに欲を捨て、主に切に求めているつもりであっても、

多分、私たちは余分なものを手にしてしまっているように思います。

純粋な、清い心で行う事であっても、

罪人として生まれた私たちは、完璧ではないのです。

主が、私たちがより一層、多くの実を結ぶために、

「これは余分だよ」

「今のあなたにはこれは必要ないんだよ」と

刈り込みをされるんだと思います。

主の枝に留まる…

一瞬、主に捕らえるように感じる時があるという事です。

しかしそれは、より一層与える為の「刈り込み」

私たちを一層、整えられているのです。

私たちを一層、実を与えようとされているのです。

私たちを一層、祝福されているのです。

主の中で、とどまり続ける。

主から栄養を得ようとする。

毎日、主から栄養を頂く。

今日は、このぶどうの木の御言葉を読んで、

何か答えを得たように感じました。

主に繋がって生きよう。

主に繋がって歩もう!

PS. 今日も、心を込めて一言、心の中でお祈りお願いします。「主よ。あの土地が私たち(LOVE BIBLE)に与えられますように!」(ブログ2023.04.28~)

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