主は御業を行なえないのです…【マルコ6:6-7】

2024年

イエスは彼らに言われた。「預言者が尊敬されないのは、自分の郷里、親族、家族の間だけです。」
それで、そこでは何一つ力あるわざを行うことができず、少数の病人に手を置いていやされただけであった。

マルコ6:6-7

主とはどのような方でしょうか。

もし、誰かに「あなたが信じている神さまはどのような方ですか?」と聞かれたら、

何と答えますか?

私が感じる神さまは「ユニークな神さま」です。

私は、結構 ‟お笑い” が好きです。

その中でも ‟笑点” のような、クスっと笑えるものが、子どもの頃から好きなのです。(笑点をお笑いと言っていいのか分からないですが)

私が感じる神さまは、私がクスっと笑える導きをして下さいます。

その度に「神さまって本当に私をよくご存じ! 私好みの笑い…(笑)」と感じます。

もし宜しければ「ユニークな神様」というタイトルで3つほどブログを書いています。

先日、知り合いの方から証を聞きました。

クリスチャンになる前から、どのように導かれ、信仰が与えられ、今に至っているのか…という内容でした。

証が凄く良かったのです。あまりにも良くて、長男にも送りました。

証を聞いて思ったのは「この方にとって主とは ‟伏線を引かれる神さま” じゃないかな…」という思いでした。

主を信じられない時に感じていた感情。

サラが鼻で笑ったように神さまの約束に対して笑った事。

あの時与えられた御言葉。

全てに意味があり、それが伏線となり、時間が経って多いな意味を見出す…その様な証でした。

神さまってこんなに伏線を引かれているんだ!!と思うと同時に、

私が知っている神さまって、本当にごくごく僅か。

神さまの能力が100あったとしたら、私が知っている神さまは、1未満…、いや0.1未満…

しかし、自分が知っている神さまだけで、私は神さまを知った気になっているのです。

神さまってね。神さまは…と人に話すのです。

そして私たちには、神さまに対して「神さまはこういう方」という固定概念があるのです。

今日の御言葉の箇所は、イエスさまを小さい時から知っている人々の話です。

イエスさまの癒しや話される事を耳にしながらも、イエスさまを神の子として受け入れられなかったのです。

イエスさまは、不信仰な人々を見ながら、

「そこでは何一つ力あるわざを行うことができず…」とあります。

主は御業を行う事が出来なかったのです!

不信仰者の前では、御業を行えないのです…

不信仰であれば、主の奇跡や、導き、御業などを体験する事ができない…

この人達が、不信仰になった原因は「思い込み」です。

イエスってマリヤの子だろう…?

その兄弟たちは我々が良く知る〇〇だろう…?

あの兄弟の一番上の長男だろう?

と言うような、自分が知っている部分のイエスさまが全てだったのです。

私も、自分が知っている、自分が感じているイエスさまと言う像があるのです。

この聖書に出てくる不信仰の人たちと、ある意味同じです。

…どうすればいいのでしょうか。

自分が知らないイエスさま。自分が経験した事がないイエスさまは、99%以上なのです。

という事は、

知らない部分のイエスさまを知っていく。体験していく。発見していく必要があるのです。

日々、自分がまだ知らない主を知っていく…!

自分が知らない主を発見する為に、

聖書を読み、祈る。

人の証も良いですよね!

今日も、自分が知らない主を発見する事ができますように…!!

「主よ。あの土地が私たち(LOVE BIBLE)に与えられますように!」

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