謙遜に歩むべき理由【ルカ13:10-17】

2024年

イエスは安息日に、ある会堂で教えておられた。
すると、そこに十八年も病の霊につかれ、腰が曲がって、全然伸ばすことのできない女がいた。
イエスは、その女を見て、呼び寄せ、「あなたの病気はいやされました」と言って、
手を置かれると、女はたちどころに腰が伸びて、神をあがめた。
すると、それを見た会堂管理者は、イエスが安息日にいやされたのを憤って、群集に言った。「働いてよい日は六日です。その間に来て直してもらうがよい。安息日には、いけないのです。」
しかし、主は彼に答えて言われた。「偽善者たち。あなたがたは、安息日に、牛やろばを小屋からほどき、水を飲ませに連れて行くではありませんか。
この女はアブラハムの娘なのです。それを十八年もの間サタンが縛っていたのです。安息日だからといってこの束縛を解いてやってはいけないのですか。」
こう話されると、反対していた者たちはみな、恥じ入り、群集はみな、イエスのなさったすべての輝かしいみわざを喜んだ。

ルカ13:10-17

今日の聖書の箇所は、

イエスさまが会堂で教えられている時に、

18年間、病の霊につかれ、腰が曲がって伸ばす事が出来ない女性がいました。

そしてイエスさまは、彼女に手を伸ばし癒しを施された話です。

それを見ていた会堂管理者が

「安息日に癒しを行なった」という事に憤りを覚え、発言したのです。

「働いてよい日は六日です。その間に来て直してもらうがよい。安息日には、いけないのです。」

…一見、正しいように思える発言です。

働ける日は6日あり、安息日として休む日は1日だけなのです。

働ける日が1日しかないのではなく、一週間の内、大半が自由に働ける日なのです。

たった1日だけの安息日…

どうしてわざわざ今日、癒しを行なうのか。

どうして安息日に働くのか。

今日は大切な安息日なのに…!

癒しを行ないたいのであれば、いくらでも違う日に行う事が出来るのに…

という主張です。

多分、この会堂管理者は、ここにいる全ての人を説得できる。

納得させる事が出来る主張だと思ったのではないでしょうか。

会堂管理者は、この主張をイエスさまに向かって話したのではないのです。

聖書を見ると、会堂管理者は

「イエスが安息日に癒されたのを憤って、‟群集” に言った」と記録されています。

群衆に向かって、

あなたたちもそう思うだろ?

私が間違った事を言ってるか?

これはユダヤ人として常識だよ。

わざわざ安息日にするなんて!

私の発言は、1つも間違っていないだろ?

という意気揚々とした思いがあったのではないかと思います。

この会堂管理者に対して、主が一言、言われたのです。

「あなたがたは、安息日に、牛やろばを小屋からほどき、

水を飲ませに連れて行くではありませんか。

この女はアブラハムの娘なのです。

それを十八年もの間サタンが縛っていたのです。

安息日だからといってこの束縛を解いてやってはいけないのですか。」と。

…安息日を守っていると思っている人々であっても、

自分の牛やロバには水を飲ませるという仕事をしていたのです。

この牛やロバは、人間の管理下にあり、自由はなかったのです。

日々、自分たちが生きて行く為に、牛やロバを日々働かせている私たち。

牛やロバにとっては、6日間、人間に縛られているのです。

そして、安息日には仕事から解放され、水という自由と安らぎを与えていたのです。

しかし、この女性は「18年も病の霊につかれていた」のです。

18年もの間、サタンに縛られていたのです。

この女性は、牛やロバよりもっと大切な「アブラハムの娘(子孫)」なのです。

この女性は、6日間ではなく、18年間も縛られて生きて来たのです。

どうして、自由と安らぎを与え、解いてはいけないのか…

と主が言われたのです。

イエスさまの発言を聞き、

反対していた者たちはみな、恥じ入ったのです。

絶対に、正しい判断だと思ったのに。

絶対に、誰が聞いても納得できるという主張であったのに…

…ここまで読んで、ドキッとしました。

私にもこの会堂管理者のような部分がある…

絶対に正しいと思う時。

誰が聞いても納得してもらえる意見だと思っている時。

正しい判断、良い判断をしていると思っている時。

私には、私たちには「絶対に正しい」という判断は出来ないに等しいと思います。

絶対に正しい答えは、主にしかない…

どんなにも自分が正論だと思ったとしても、

主はそれを遥かに超える答えを持っておられる…

そう思うと、

主に会った時「どうしてですか?」と聞いてみたいと思っている事柄に対しての

主の答えを聞いたら…

きっと私は、この会堂管理者たちのような、

恥ずかしい思いをするかもしれません…

「どうして、あの時助けてくれなかったのか」

「どうして、あなたは私にこんな人生を与えられたのか」

「神がいるなら、何故…?」

と思えるような出来事。

主に問いただしたい出来事。

きっと…主は、私が想像も出来なかった答えを持っておられるんだと思います。

だから…

私は謙遜でいるべきなんだと思います。

主がされることには、絶対に意味があり計画がある…

そう信じて、謙遜に歩むべきなんだと思います…

PS. 今日も、心を込めて一言、心の中でお祈りお願いします。「主よ。あの土地が私たち(LOVE BIBLE)に与えられますように!」(ブログ2023.04.28~)

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