あなたがたがわたしを呼び求めて歩き、わたしに祈るなら、わたしはあなたがたに聞こう。
もし、あなたがたが心を尽くしてわたしを捜し求めるなら、わたしを見つけるだろう。エレミヤ29:12-13
先日、仕事で病院に行った時に、ナースさんが私に
「LBさん(私)って、私のことよく知っていますよね!」と言われました。
これは、プライベートな事だけでなく、
仕事で自分が何を探しているか、何を求めているかなど、
私が察知してると言う意味で言われたのです。
心の中で「えーーそうかな…」と思いつつ、心に残っていました。
そう言われれば、私は動きを読める看護師さんと、あまり分からない看護師さんがいます。
私は、去年の6月から総合病院で看護助手を未経験で始めました。
病棟では看護師さんは大忙し…
2日間の研修があったものの、殆どは分からない事だらけでした。
忙しい看護師さんの手を止めて質問するのも難しく、
誰かが親切に「これは、こうして欲しい」と言ってくれる訳でもない…
しかし、夜勤の助手は私一人。
気軽に質問出来る人がいなかったのです。
看護師さんの動きを見ながら、動きのルーティンや、よく必要としているもの、
どう動けば役に立つんだろう…と観察をしていました。
「私にできる事があれば、何でも言ってくださいね」と声をかけながら。
そして少しずつ自分に出来ること、求められている事を増やしていったのです。
しかし…
動きが分かる人もいれば、分からない人もいるのです。
その差は何だろう…
ちょっとした合間のコミュニケーションだと思います。
ちょっと余裕がある時に、私が仕事の事で質問したり、互いに個人的な話をしたり…
そのようなちょっとした会話の積み重ねが、
少しずつ互いの関係を近いものとしていると思いました。
反対に、私が良く分からない看護師さんは、
ちょっとした合間の会話がないのです。
私の話しかけるタイミングが悪いのか、私の事があまり好きではないのか、
理由は良く分かりませんが、
私はその看護師さんと距離を縮めることが出来ていないのです。
結果、私が彼女に出来る事は、一般的なサポートだけなのです。
関係を深くするには、
互いが心を開いた状態でないと出来ない…
そう思った時に、
相手を知ろうとする事って凄く大切…
相手と関係を持とうとする姿勢も大切。
と思ったのです。
これは、人間関係だけではなく、
主と私たちの関係も同じだと思います。
主を知ろうとする姿勢。
主と良い関係を築こうとする姿勢。
人間同士の場合、相手が自分を好きではない、必要としない、関係を持とうとしない可能性がありますが、
主は、welcomeな状態です!
主は心を開かれ待っておられるのです。
主との関係を深くするかどうかは、私たちに掛かっているのです。
主は私たちの髪の毛の数までご存知だと聖書に書いてあります。
という事は、
私が心を開き、
私が主を知ろうとし、主との関係を深めようとしない限り、
主との深い関係は持てないのです。
私は、どれ程、主を知っているだろう…
もちろん、凄く主に用いられている人であっても、
主が「100」だとすれば、私たちが知っている主は「1未満」です。
でも…
もっと主を知りたい…
主がどういったお方なのか。
どの様に私たちを愛されているのか。
私にどのような思いと計画を持っておられるのか。
主の思いを知りたい…
主と交わろう…
聖書と賛美と祈りを持って!!
PS. 今日も、心を込めて一言、心の中でお祈りお願いします。「主よ。あの土地が私たち(LOVE BIBLE)に与えられますように!」(ブログ2023.04.28~)