幸せの土台は何か【ローマ8:38-39】

2024年

私はこう確信しています。死も、いのちも、御使いも、権威ある者も、今あるものも、後に来るものも、力ある者も、
高さも、深さも、そのほかのどんな被造物も、私たちの主キリスト・イエスにある神の愛から私たちを引き離すことはできません。

ローマ8:38-39

今、幸せを感じていますか?

もしくは、辛い思い一杯で、押し潰されそうになっているでしょうか?

主は、私たちが幸せに生きる事を望まれています。

しかし、私たちは主を信じているにも関わらず、生きている事が辛く感じる事が多いですよね。

どうしてでしょうか。

幸せだと感じる時は、どの様な時でしょうか?

仕事が上手くいっている時?

病が癒された時、

生活が豊かになった時、

希望の学校に進学出来た時、

欲しかった物を手に入れた時、

…良い事があった時に、私たちは心が満たされ、どことなく悠々自適さを満喫でき、

幸せだな~と感じるのではないでしょうか。

そして、どことなく生きる事に積極的になったりするのです。

反対に、生きる事が辛く感じるのは、どの様な時でしょうか。

仕事で失敗した時、

病が発覚した時、

生活が苦しくなった時、

希望の学校に出来なかった時、

願った通りの結果を得れない時、

このような事が、もし重なったら、

私たちは一気に、生きる事が辛くなり、苦しくなるのです。

…つまり、自分の願い通りに道が開いている時は、幸せを感じ、

願い通りに歩めない時は、辛く感じるのです。

という事は、

今、幸せを感じていたとしても、状況が一変したら、苦しい人生へとなってしまうという事です。

自分の置かれた状況により、自分が幸せにもなり、

辛い人生にもなるという事です。

つまりそれは、自分の感じている幸せが「条件的」だという事です。

条件的だという事は、条件が揃わないと、幸せではなくなるという事です。

今、自分が「幸せだな~」と感じているのであれば、

それはどうして幸せだと感じるのか考えてみる必要があります。

条件的な幸せだとすれば、

それは条件が変われば、幸せは直ぐに去ってしまうのです。

…主は私たちの幸せを願っているはずなのに…

主が私たちに願う幸せとは何でしょうか?

自分が置かれた環境に、左右される幸せは、主が望まれている幸せとは違うと思います。

という事は、

主が私たちの望まれている幸せの土台は「条件的な幸せ」ではないという事です。

主が私たちに望まれている幸せは、

私たちがどの様な環境、状況であっても幸せを感じる事を望まれているのです。

だから、私たちの幸せの土台が「条件的」であってはいけないのです。

私たちは、主の福音により幸せを得る。

主が私たちの神であるという事に幸せを得る。

主が私たちを愛して下さり、共に居るという約束をして下さっている事に幸せを得る。

主の愛は、何を持っても私たちを神から引き離す事は出来ないのです。

主の愛は、決してあなたを離れず、また、あなたを捨てないと約束されているのです。

世の終わりまで共に居て下さると約束して下さる主…

無条件に私たちを愛して下さる神さま。

主は、決して変わる事がない愛で私たちを満たし、

主の愛で包まれている事で、

私たちに幸せを感じて欲しいのです。

主の愛が、私たちの幸せの土台であるべきなのです。

私たちは自分の幸せの土台が何なのか、

自分の心を探る必要があるように思いました…

PS. 今日も、心を込めて一言、心の中でお祈りお願いします。「主よ。あの土地が私たち(LOVE BIBLE)に与えられますように!」(ブログ2023.04.28~)

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