信仰がなくては、神に喜ばれることはできません。神に近づく者は、神がおられることと、神を求める者には報いてくださる方であることとを、信じなければならないのです。
信仰によって、ノアは、まだ見ていない事がらについて神から警告を受けたとき、恐れかしこんで、その家族の救いのために箱舟を造り、その箱舟によって、世の罪を定め、信仰による義を相続する者となりました。
信仰によって、アブラハムは、相続財産として受け取るべき地に出て行けとの召しをうけたとき、これに従い、どこに行くのかを知らないで、出て行きました。
へブル11:7-8
主に喜ばれる人生を送りたい…と思いませんか?
私は本当にその様な人生を送りたい…!と思っています。
どの様に生きる時、主は私を見て喜ばれるのでしょうか。
主が最も私たちに求めておられる事は、
『心を尽くし、思いを尽くし、知力を尽くして、あなたの神である主を愛せよ。』
『あなたの隣人をあなた自身のように愛せよ』
です。
私たちが主を愛する時、主は喜ばれるのです。
私たちはどのように、主を愛せば喜ばれるのでしょうか。
主を中心として生きていく時です。
人生のどの様な局面に立たされた時でも、主を覚え歩むのです。
人生に特に問題が無く、むしろ願った通りに歩めている時に、主を見上げ賛美する事はある意味簡単です。
感謝する事も簡単であり、主が私の道を準備されている様に感じます。
自分が主の望んで居られる道を歩めていると思えるからです。
聖書を見ると、ノアやアブラハム、ダビデ王、ヨナなど、沢山の人に対して主が喜ばれているのが分かります。
主がどうして彼らを見て喜ばれたのか…
彼らは、難しい局面に立たされた時にも「主を選ぶ」という事を選び生きていたのです。
難しい局面に立たされた時に「主を選ぶ」と言うのは、私たちの感覚では難しい選択のように感じます。
ノアは、創世記6:9で
「ノアは、正しい人であって、その時代にあっても、全き人であった。ノアは神とともに歩んだ。」と記録されています。
「ノアは神と共に歩んだ」という簡単な一文を読む時、「へーそうなんだ」と思ってしまいますが、
これは本当に凄い事だと思います。
ノアはの箱舟を造った人物です。
ある日、神さまがノアに箱舟を造るように言われました。
その理由として「私は、全ての人を絶やそうと決心した。彼らは地を暴虐で満たしたから、私は彼らを地とともに滅ぼす」と言われたのです。
神さまが人間を造られ「良い」とされた世界と人を滅ぼすという程、
世の中の人々は、悪い人で溢れかえっていたのです。
主が創造された世界と人々を絶やそうと決心するほど…
世の中の人は罪に陥っていたのです。
そのような環境の中でも、ノアは正しく生きる事を選択し続けていたのです。
そして主に言われた事を「従順」したのです。
常識では考えられない程の「大きな舟を造りなさい」という言葉に従順しました。
周りの人々はそれをみて何も言わなかったでしょうか。
ノアの行動は、揶揄される対象となったはずです。
主に従い「造る」という事に従う事は大変な事ですが、
主に従い、箱舟に「入る」という事も難しいことなのです。
動物をつがいで舟に入れる姿を、黙って人々が眺めていた訳ではないと思います。
かなりの時間がかかるはずです。
また箱舟に沢山の食べ物も入れたはずです。
そして、ノアの家族も舟に入ったのです。
ノアたちは、雨が降って来てから舟に入ったのではないのです。
舟に入って7日後に雨が降り始めたのです。
今まで生きてきて、培ったものも沢山あったはずです。それらと決別したのです。
箱舟に入り続けるのも、大きなストレスだったと思います。
40日40夜、雨が降り続けましたが、雨が止んでも150日間、水かさが増していったのです。
その後、150日かけて水が減っていったのです。
箱舟の中には一年以上入ったままだったのです。
衛生的な環境も辛いはず。
また外に「出る」という事も大変な従順です。
今まで共に生きて来た人々が全て居ないという現実を目にするのです。
今まで生きて来た世界とは違う世界を受け入れなければならないのです。
…主に喜ばれる生き方とは、主の前で正しく生きるという事。
主の前で正しく生きるとは「従順」するという事です。
アブラハムも、何処に行くのか分からないまま、自分の故郷を立ち、召しにしたがって出発したのです。
「従順」は、楽しい決断というより、時には辛い決断かもしれません。
自分が思い描いている状況とは、違う道に歩むという事です。
私たちの感覚では「犠牲」が伴なうように感じるのです。
私たちが感じる「犠牲」に目を留めるのではなく「従順」する時、主は喜ばれるのです。
私たちが主を信頼している行動だからです。
今日の御言葉にあるように
信仰がなくては、神に喜ばれることはできません。
従順は、主を信頼する信仰によるものなのです。
難しい局面に立たされた時、
主を覚え、主に信頼し、主に従順する事ができますように。
主に喜ばれる人生を歩み続ける事ができますように…
「主よ。あの土地が私たち(LOVE BIBLE)に与えられますように!」