主の導きは小さな声【ネヘミヤ1:4-6】

2024年

私はこのことばを聞いたとき、すわって泣き、数日の間、喪に服し、断食して天の神の前に祈って、
言った。「ああ、天の神、主。大いなる、恐るべき神。主を愛し、主の命令を守る者に対しては、契約を守り、いつくしみを賜る方。
どうぞ、あなたの耳を傾け、あなたの目を開いて、このしもべの祈りを聞いてください。私は今、あなたのしもべイスラエル人のために、昼も夜も御前に祈り、私たちがあなたに対して犯した、イスラエル人の罪を告白しています。まことに、私も私の父の家も罪を犯しました。

ネヘミヤ1:4-6

以前のブログで、私が病院で働き始め、初めて患者さんと共に祈る機会が与えられたことを書いた事があります。

何の準備も出来ていませんでした💦【イザヤ55:6-7】
 主を求めよ。お会いできる間に、近くおられるうちに、呼び求めよ。 悪者はおのれの道を捨て、不法者はおのれのはかりごとを捨て去れ。主に帰れ。そうすれば、主はあわれんでくださる。私たちの神に帰れ。豊かに赦してくださるから。 イザヤ55:...

患者のAさんが「明日、転院する」と知り、もうこのAさんと会う事はないんだと感じ、

Aさんと共に祈りたい!と言う思いが与えられ、

クリスチャンではないAさんと祈る事ができ、

Aさんとは「お元気で!」と数ヶ月前に挨拶したのです。

しかし、先日仕事で病院へ行くと、病室にAさんの名前があるのです!

他病院へ転院し、また三ヶ月たって、私が勤務してる病院へ帰って来たのです。

嬉しさを感じ「Aさん~!」と病室に入ると、

随分と痩せられ、以前より反応が薄い状態。

「Aさん~お久しぶりです! 覚えてくれてますか?」と聞くと頷かれました。

また祈りたい…と言う思いが与えられ、何度となく病室へ行ったのですが、

寝ておられる事が多く、一緒に祈る事が出来ませんでした。

私は寝ているAさんの横に立ち、手を取って

「神さま。Aさんにもう一度会えたことを感謝します。Aさんが主を信じることが出来ますように」と祈っていました。

そして、昨日、仕事で病院へ行き、Aさんの病室に行ったのですが、ずっと寝ておられ起きていても、語りかけへの反応が凄く薄い…

そして、夜10時ごろ看護師さんが慌ててAさんの病室から走って出て来たのです。

Aさんの急変。

他の病棟にも応援を呼び、先生方も来られましたが、あっという間に亡くなられたのです。

つい20分ほど前までは異常はなかったのに…

呆然としました。

神さま… 私は一緒に祈れなかった。

Aさんにもう一度、主の話をし祈りたかった…

Aさんはこの病院に戻って来られて、

私が二回目の勤務の時に亡くなられたのです。

1回目会った時、私を覚えてると反応されました。

神さま。Aさんは私の姿を通して、イエスさまを思い出したでしょうか。

何となく、死ぬためにこの病院へ戻って来られたような気がしたのです。

何とも言えない思いになり、

神さま。私にもう一度、Aさんの手を握り祈る事を許してもらえないでしょうか。と祈りました。

しかし、亡くなった後は看護師さんたちが「エンゼルエア(死後処置)」をされる為、

私の様な助手は部屋に入る事はないのです。

祈りながらも、私はもうAさんの顔を見ることは出来ない…と思いながらエンゼルケアの準備をしていました。

その時、他の患者さんが不安定になり、

エンゼルケアに入ろうとしていた看護師さんが忙しくなったのです。

そしてその看護師さんが「ごめん!〇〇さん(私)エンゼルケアお願いしてもいい?」と言われました。

看護師2人で行うエンゼルケア。

一緒にエンゼルケアに入った看護師さんが「まず、身体を綺麗に拭いて、頭も洗い、服も着替え、化粧もします」と言われ、

私に腕から拭くように言われました。

部屋に入ってまず、Aさんの手を握り腕を拭く事が出来ました。

手を握りながら心で祈っている時、

心に響いた言葉がありました。

「あなたは、死を前にして祈りが必要な人が居るなら、私の勤務の時に亡くなるようにして下さい。って祈ったよね?」

毎回、仕事前に決まった祈りをしています。

その中の一つに「死を前にして祈りが必要な人がいるなら…」と祈っていたのを思い出しました。

病院でいると、元気になり家に帰られる患者さんも多いですが、家に帰れず亡くなる方もいるのです。

人が亡くなる姿を見るのは、大変なことです。

私の知り合いには「私には無理…」とよく言われます。

私にも無理です。

…病院で勤務をした初日、思ってもない患者さんが急変され亡くなったのです。

その時「え…💦 そっか… 病院だもの… 人が亡くなる事もあるよね…」と驚いたのです。

私には私なりの理由があり、病院で働くことを希望し今に至るのですが…

夜の病院は、静かで落ち着いた勤務だと思っていました。

しかし実際は、毎回大忙しです。しなければならない事が多いのです。

イレギュラーな事が沢山起こります。

仕事初日の時に、「え?さっきまであの病室に居た人… 亡くなったの?」と思った時、

「神さま。私は人が亡くなるって考えたら分かることを、今気づきました。人の死を私はどのように受け止めたら良いのでしょうか。私の心を守って下さい」と祈ったのです。

それ以降、分かったのです。

今まで誰にもとりなしの祈りを祈って貰えなかった人たちに、私は会っているんだと。

患者さんたちがこの世を立つ姿を見ながら、

目の前のこの人は、今までの人生で誰一人として、

とりなしの祈りをして貰えなかった人かもしれない…

だったら、最後に私がとりなしの祈りをしたい…という思いが与えられたのです。

私はAさんにしっかり、もっと主を伝えたかった。

できれば、イエスさまを信じましょう。

罪赦され天国に行く準備をしましょう。と言いたかった。

それを聞くためにAさんが、この病院に戻って来られたんだと思っていました。

Aさんが救われたかどうかは分かりません。

しかし私がはっきりと分かった事は、

Aさんの死を通して、

本当に主が、私にとりなしの祈りを求められているんだと感じることが出来ました。

主は、大きな声でハッキリと「私はあなたに〇〇を求めている」とは語られず、

少しずつ、小さな声で語られる…

祈った事が、次のステップとなり、それがまた次のステップになるように…。

今からは、どのようにとりなしていくべきか…

もっと真剣に祈って教えてもらわないと…!!と感じました。

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