私の一方的な「寄り添い方」【詩篇103:13-14】

2024年

父がその子をあわれむように、主は、ご自分を恐れる者をあわれまれる。
主は、私たちの成り立ちを知り、私たちがちりにすぎないことを心に留めておられる。

詩篇103:13-14

病院でいると、常に「難しい患者さん」と感じる人が居られます。

ずっとイライラしていて、攻撃的な話し方をされるのです。

ある時、ナースコールがあり行ってみると「サイドテーブルに置いている時計が見えない」と。

「これですか?」と言いながら、見えやすい位置に動かすと、

「勝手に人のものに触るな!!」と大声で叫ぶのです。

寝たきりなので「水が欲しい」と言われコップに水を入れると、その入れた量が多いと言ったり少ないと言ったり。

入れ終わったペットボトルを置く位置も「そこに置いて」と言われ、私は「ここですか?」と

そこらしき所に置こうとすると「常識で考えたら分かるだろ?どうしてそこに置く??」と。

何かにつけて荒い口調で話すのです。

一言一言に怖さを感じて、

若い看護師さんたちは、ナースコールが鳴っても行きたがりません(笑)

看護師さんたちは、激務な上、このような難しい患者さんたちの対応まで…結構疲弊しています。

「神さま。どのように接したら良いでしょうか?私に教えて下さい…」と祈りつつ、

何度も鳴るナースコールは私が対応するようにしました。

そしてある時、そのAさんのイラついた顔が、何故かザアカイのように感じたのです。(もちろん私はザアカイの顔は知りませんが)

あーーーAさんは、ザアカイなのか…

イエスさまはザアカイにどの様に接したんだろうと黙想。

イエスさまは、皆から嫌われ罪人だとされているザアカイに、イエスさまから声をかけられました。

「ザアカイ。急いで降りてきなさい。きょうは、あなたの家に泊まることにしてあるから。」と言われ、

ザアカイは ‟急いで降りて来て、そして大喜びでイエスを迎えた” と記録されています。

ザアカイはこの時、どの様に感じ喜んだのでしょうか。

皆は自分の事を嫌うけれど、俺を選ぶなんて、イエスさまは見る目がある!と思ったかもしれません。

イエスさまに名指しで呼ばれた事に対して、自分を蔑んで見ていた周りの人たちに対して優越感を感じたかもしれません。

もしくは、もっと単純に、大勢の中から選ばれた事が、嬉しかったのかも。

ザアカイの心情は分かりませんが、ザアカイは喜んだのです。

そしてザアカイは自らこの様に話したのです。

「主よ。ご覧ください。私の財産の半分を貧しい人たちに施します。また、だれからでも、私がだまし取った物は、四倍にして返します。」

イエスさまが「ザアカイ、いつまであなたはこんな生き方をするのですか?あなたも嫌われて生きて行くのは辛いでしょう。財産も沢山あるのだから、人々を助ける生き方をしてはどうですか?」と、

諭を与えたのではないのです。

イエスさまに言葉ではなく、寄り添ってもらう事により、自らが自分の過ちを認め、

またそれだけではなく、これからの自分の進む道まで語り始めたのです。

私が主なら… ザアカイを諭にかかると思います。

あなたもそんな生き方… しんどいでしょ?と言いながら、

自分自身では、相手に寄り添っているつもりでいるように思います。

イエスさまから見たら、

私の一方的な「寄り添い方」なんだと思います。

イエスさまは、ザアカイの罪を指摘したり、裁いたり、諭したりしなかった…

イエスさまは、ザアカイをご存知だったからだと思います。

取税人と言う仕事は、仕方なしに割り当てられた仕事ではなく、自分から選んでする仕事のようです。

どうしてザアカイがそんな嫌われる事を分かっていながら、この仕事を選んだのか。

ザアカイについて詳しく記録がありませんが、

背が凄く低かったようです。

もしかしたら、子どもの時からからかわれ、コンプレックスを抱えていたのかもしれません。

見返してやりたい…という思いが彼の幼な心から支配していたのかもしれません。

イエスさまは、ザアカイの心も、心の傷も、今ある思いも全てご存知だったのです。

ザアカイだけでなく、

イエスさまの足に香油を塗った罪深い女の人に対してもそうです。(ルカ7章)

彼女がイエスさまに近付いた時、

誰もが、この女性に対して受け入れない思いを抱いていました。

しかし、イエスさまは彼女にも叱責することはなく、彼女の心の全てを見られたんだと思います。

そして彼女の核心に迫る事…「あなたの罪は赦されています」と言われたのです。

イエスさまを知らないと言ってしまったペテロに対しても…

イエスさまの方から、ペテロに会いに行きました。

そしてペテロに対して叱責はされませんでした。

イエスさまは愛のお方。

罪を咎めるのではなく、愛し包むお方…

諭すのではなく、どうしてこのように生きているのか、そこに至った心に寄り添うお方。

これが、病院での難しい患者さんだけでなく、

私たちが人と接する時に、主が寄り添われたように…

私たちも人に寄り添う事を選択できるようになりたい…

今日も、この患者さんに寄り添う気持ちで接していきたいと思います!

PS. 今日も、心を込めて一言、心の中でお祈りお願いします。(ブログ2023.04.28~)

「主よ。あの土地が私たち(LOVE BIBLE)に与えられますように!」

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