主が介入されるタイミング【イザヤ55:8-9】

2024年

わたしの思いは、あなたがたの思いと異なり、わたしの道は、あなたがたの道と異なるからだ。―主の御告げ―
天が地よりも高いように、わたしの道は、あなたがたの道よりも高く、わたしの思いは、あなたがたの思いよりも高い。

イザヤ55:8-9

先日、卒業した高校から同窓会のお知らせが来ました。

前回の同窓会って随分前… いつだっただろう。誰に会っただろうと思いを巡らしてる時、

1人の同級生を思い出しました。

同じクラブの男の子で高校を卒業し、消防士になった子です。

前回会った時に、消防士の話を聞いたのを思い出しました。

色々と聞いたのですが、その中の1つ…

救急で出動した時、困る事があるそうです。

事故であれ、病気であれ、少し反応がある人と全くない人では、

隊員としては、全く意識がない人の方が搬送がスムーズだそうです。

全く意識のない人は、隊員に身を任せてくれる。

しかし、少し反応があり意識がある人は、担架で救出する際、起き上がり自分で歩こうとしたり、階段の手すりを掴んだり、運ばれる事を拒否するそうです。

「危ないですよ! あなたは大きな怪我をしています。私たちが救急車で助けます!」と言っても、

自分で歩こうとするそうです。

隊員を信じて任せてくれればいいんだけれど、

自分で何とかしようとする…💦と言っていたのを思い出しました。

何となく想像が出来ます…

そして、私たちの信仰生活にも同じような事がいえるように思いました。

私たちが苦難に遭い、苦しくもがきます…

「主よ。助けて下さい!」と祈っても、なかなか助けてもらえないように感じます。

その意味が分かるように思いました。

まだ私たちの内に、強い自我があり、自分で何とかしようという思いが沢山あるのです。

自分で、何とか対処しようという思い。

今ある問題に対して、自分が一番良いと思う対処方法に拘る思いがあるのです。

「こうなれば良いのに」「こうなるべきだ」「この様になって欲しい」

主は、私たちが完全に心を明け渡すまで、待っておられるのです。

自分に降りかかった問題に対して、

自分の願う方向に解決するのではなく、

主が望む方向に解決して下さい…!という思いになるまで…

自分には対処する方法がなくなり… 自分の限界を感じる時…

主が介入されるのです。

意識がなくなった人が運びやすいように、

私の内に何もなくなった時、主が私を新しい所に運んで下さるのです。

いい加減…

自分の限界までもがく事を辞めようと思います(笑)

問題が生じたら、

「主よ。あなたにこの問題を委ねます。私の願いではなく、あなたの思いの通りに私を導いて下さい!」と祈れるようになりたいです。

自分で何とかしようともがくのは、

自分で何とか出来るという「高慢」でもあります。

私たちの内にある「罪」と「高慢」は、主を見えなくします。

私たちと主を離すもの。

分かってはいるんですけどね…

今日も、主を選択して一日を過ごしたいです!

良き一日を!

「主よ。あの土地が私たち(LOVE BIBLE)に与えられますように!」

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