では、どうなのでしょう。私たちは他の者にまさっているのでしょうか。決してそうではありません。私たちの前に、ユダヤ人もギリシヤ人も、すべての人が罪の下にあると責めたのです。
それは、次のように書いてあるとおりです。「義人はいない。ひとりもいない。
悟りのある人はいない、神を求める人はいない。
すべての人が迷い出て、みな、ともに無益な者となった。善を行う人はいない。ひとりもいない。」ローマ3:9-12
次男の通っている学校の話です。
学校の理事長が新しく来られ、「学校改革」を突如として始めたのです。
去年の3月まで学校内で「学校改革」しようとは誰も思っていなかったのに、
4月から来られた理事長による一言により、4月から始まったのです。
そして4,今まで学校改革をしてきたB先生を呼び、学校改革担当として勤務されています。
うちの次男は、2学期から高校の生徒会に参加しました。
そして、生徒会の何にある沢山の活動のうち、学校改革担当となったのです。
B先生は、学校改革について公演会をされたりする方です。
そして、早くこの(次男が通っている)高校も学校改革をしようと、生徒会を巻き込んで取り組もうとしています。
自分一人で取り組めば、苦情がでるけれど、
生徒会と一緒にすれば、「生徒が自主的に…」という理由が出来るからです。
B先生は、生徒会の会議にも必ず出席し、前に立ち、一人でずっと「何をしていかないといけないか」を話し続け、
それに関する動画を見せたりします。
次男と一緒に、学校改革に参加している高校1の男子が
「何か、B先生が一方的に話し続け… 生徒を洗脳しようとしているんじゃないかと思う…」と
B先生に対して不信感を感じるというのです。
B先生は、一回の会議が終わるごとに、大量に資料や動画を送って来るそうで…
それに関する感想などを返信しないといけない様子。
次男は、学校改革チームのライングループに、「生徒会とは、生徒が自主的に学校生活の向上などを求め、考え活動するものなのではないのでしょうか。
まずは生徒が何をしたいかを考え、そこから先生にアドバイスを求めながら話を勧めませんか?」と送ったようです。
しかし、B先生は早く学校改革を勧めたいのです。
それが自分の仕事であり、経歴となり、次の講演会で話をする材料となるからです。
次男は、生徒会のリーダーたちの思いを一つにしようと…
高2の先輩たちと話をしました。
すると先輩たちが
「学校改革はもっと早く急いでしたい!」と言ったそうです。
その理由を聞くと、「私たちは4月から高3。大学受験をしないといけない。AOだから、学校改革についてPRする為に、改革を早く成功させたい」
この話を聞いて、驚き、また怖さを感じました。
B先生の立場で考えると、
自分は学校改革を指導するために、この学校で勤務をしている。
それと、学校改革への指導という特徴を持っているので、その特徴を生かすためにセミナーや講演会を行っているのです。
だから、早く成果をだしたいのです。
高2に先輩たちは、
AOを受けるために、早く学校改革を済ませたいのです。
生徒会の活動に参加するのは、AOで大学に行く為。
B先生は、自分の仕事を進めているだけです。(強引ではありますが)
先輩たちは、「生徒会などで活躍していれば、AOで役に立つ !」と、どこからか聞いた事があるのです。
二方とも、急ぐ理由があるのです。
何の説明もせず、改革を進めていくことに苦情がでても…
多分、自分は、するべき事をしているだけで、何の心に引っ掛かりも感じていないんと思います。
…私も、このような事をしているんだろうな…💦 と思いました。
別に良心が痛むけれど…というような事さえも感じる余裕がない位、
自分にとって利益になる…という理由をもって、進めているのです。
この学校改革が、正しいかどうかは別として、
自分の欲望が強ければ、自分を中心に考えてしまうのです。
自分はするべき事をしているだけであって、そこに罪の意識はないのです。
全ての人は罪人… という御言葉が、本当にそうだな…
自分には明確な理由があるので、自分がいしている事は正当性を持っている…と考え
まさかそれが人に何か影響を与えてるとは気付かない。
自分中心に考えてしまうのです。
「自分を正当性を持っている」と考えること自体に問題があるのかも…
「主はどう思われているだろうか」という問いかけの祈りをしていく事の重要性を感じました。
自分に置かれた環境で、祈って過ごしましょう!と言いながら、
私は本当に何も出来ていない。
自分の頭で考え、行動してる罪人に過ぎない…と感じた一日でした。
まず、主に祈る…
これを大切にして行きたいです!!
「主よ。あの土地が私たち(LOVE BIBLE)に与えられますように!」