今日、どの様な顔をしていますか?【使徒6:15】

2024年

議会で席に着いていた人々はみな、ステパノに目を注いだ。すると彼の顔は御使いの顔のように見えた。

使徒6:15

昨日、仕事の研修で朝から病院に行きました。

「食事介護」を習ったのですが。

90代の女性の方で、一人で食事をするのは難しいけれど、誤嚥をする可能性が低い人に、

私は初めて食事介護をしました。

挨拶をしてから「お食事しましょうね~」と言いつつ、スプーンを口に持って行くと

何故か一口一口に、イライラされておられるのです。

どうしてだろう?と思って、研修をしてくれている看護師さんの方を見ると、

「あ…(笑) いつもこんな感じなの」と。

確かに…

病院にいながら、色々な人に会います。

いつもイラついている人、ニコニコされている人、痛い処置をされ「痛い!!」と言いながらも処置が終わると「ありがとう」と必ず言ってくれる人、

顔を見る度に凄く長話をされる人、少しバカにしたように話しかける人…

それは患者さんだけではなく、看護師さんも色々です。

仕事を終え帰り道、「どうして〇〇さんはいつもイライラされてるんだろう…」と考えながら

スマホで聖書を読みました。

丁度、新約聖書のステパノの話でした。

ステパノは最初の殉教者です。12弟子の補佐をする7人の執事の内の1人です。

この7人の内でもステパノが最も優れており、聖書をみると、

「恵みと力とに満ち、12弟子たちと同じように素晴らしい不思議なわざとしるしを行っていた」のです。

そんなステパノに議論を持ちかけた人達がいたのです。

「リベルテン」と呼ばれるの会堂に属する人々です。

リベルテンとは、「解放された奴隷」という意味で、

ローマ軍に奴隷として連れて行かれ、のちに解放されたユダヤ人の事を指すようです。

そのリベルテンたちが集まった教会は、律法を守り神殿で礼拝をすることが信仰を守ることであり、

ステパノが言う「イエスキリストが救い主」という言葉に反発をしたのです。

リベルテンの人たちは「私たちの教会が正しい」という強い信仰があり、

そしてステパノに議論を持ちかけるのです。

しかし、知恵にと恵みに満たされていたステパノに歯が立たないと分かると、

第三者に嘘の証言をさせたのです。

「ステパノは、神とモーセを冒涜している」と。

ステパノ、ピンチです!!

死罪に当たる罪で、冤罪判決に追い込まれたのです。

ピンチに追い込まれたステパノ…

リベルテンの人々は満足げにステパノを見た事でしょう。

慌てふためくステパノを想像しながら。

しかし、人々がステパノを見ると「御使いのような顔」をしていたのです。

人々がこぞって自分を死刑にしようとしている時に…。

私なら「神さまどうしてですか!!」

「私は主を伝えているのに、主は私が今、死刑になる事をお許しになるのですか!!!」と

主に訴えると思います。

ステパノ…

自分が人間の最大の問題…「死」を目の前にしても、信仰は揺らぐ事がなく、

一層強く持てたのだと思います。

完璧に主を信頼していて、

「死」からの恐怖に、完璧に勝利していたのです。

また、このような話の展開に、今自分が置かれた状況に対して「怒り」もないのです!!

主に対して「どうしてですか!?」という思いさえなく、

「どうして私にこの様な事が成されるのでしょうか?」という疑問もなく

「主の平安」しかないのです。

…私は、今日、どのような顔をしているんだろう…

ステパノのように冤罪に追い込まれ、死を目の前にした訳でもないのに…

私の顔は、主に対する不平不満に満ちた顔をしていないだろうか。

私の顔は、人から受けた傷に嘆いていないだろうか。

…ここで少し不思議に思うのは、人々が集まり一方方向に突き進もうとしている時、

ステパノの顔が天使のようだったのです。

多分… 輝いていたのではないでしょうか。

分かりませんが、どちらにしろ、普通の人間の顔ではなかったのです。

群衆はその様なステパノの顔を見ても、

自分たちがしようとしている事を辞めなかったのです。

ステパノの顔を見て「え…」と思い、思いを留まるチャンスだったはずです。

しかし、自分の欲望を満たそうと、一瞬驚いても、欲望に突き進んだのです。

人間って怖いですね💦

自分が正しい!! 相手が間違ってる!!と熱く思いすぎると、留まる事が出来ないのです。

そして、ステパノは冤罪となり殉教するのです。

ステパノの死は、無駄な死なのでしょうか。

懸命に生きて来たステパノ。冤罪が覆る事もなく殉教なのです。

しかし、ステパノの天使のような顔を見た人は大勢います。

群衆たちは自分の欲望が満たされた後、

ステパノの顔を思い出す人が居たと思います。

イエスさまが十字架で亡くなり、亡くなった後に「真の神の子であった」と悟る人がいたように。

ステパノが亡くなってから、ステパノの主張が正しかったのかも…と思い直す人が居たのではないでしょうか。

ステパノはイエスさまのように、

天に召される前に「主イエスよ。私の霊をお受けください」

ひざまずいて、大声で「主よ。この罪を彼らに負わせないでください」と叫んだのです。

当時の人たちの中でステパノの死に向かう姿を見て、主を知る人が居たと思います。

またこのステパノの信仰が、聖書を通し私たちに多くの事を教え、導きとなっています。

無駄な信仰、無駄な死ではなかったのです。

…私たちの信仰。

信仰を無駄にしてはいけない。

主に喜ばれ用いられる信仰を持ちたい。

私は今日、主の香りを放つことが出来るだろうか。

私は今日、どの様な顔で過ごすんだろう…

今日も、主を選択しましょう!!

「主よ。あの土地が私たち(LOVE BIBLE)に与えられますように!」

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