すると、ある律法の専門家が立ち上がり、イエスをためそうとして言った。「先生。何をしたら永遠のいのちを自分のものとして受けることができるでしょうか。」
イエスは言われた。「律法には、何と書いてありますか。あなたはどう読んでいますか。」
すると彼は答えて言った。「『心を尽くし、思いを尽くし、力を尽くし、知性を尽くして、あなたの神である主を愛せよ』、また、『あなたの隣人をあなた自身のように愛せよ』とあります。」
イエスは言われた。「そのとおりです。それを実行しなさい。そうすれば、いのちを得ます。」
ルカ10:25-28
聖書を読んでいて「あ…💦」と感じました。
今日の聖書の箇所です。
ある律法の専門家がイエスさまを試すのです。
「何をしたら永遠の命を自分のものとして受ける事が出来るのか」という質問をしました。
そしてイエスさまは、「律法には何と書いてあるか」尋ねられました。
するとこの律法学者は、流石に学者です!
完璧な答えをしたのです。
『心を尽くし、思いを尽くし、力を尽くし、知性を尽くして、あなたの神である主を愛せよ』
『あなたの隣人をあなた自身のように愛せよ』
イエスさまも「そのとおりです」と言われる程の答え。
もしこれが筆記試験であれば、満点だったんだろうな…と思います。
しかしイエスさまは、「何と書いてあるか?」と尋ねられた時、もう1つの質問をしています。
「あなたはどう読んでいますか」
律法学者は満点な答えを導き出せましたが、
その答えの意味を知らなかったのです。
私たちも、聖書を読むことができます。
しかし、このイエスさまの質問から、聖書をどのように読むか…が大切だという事が分かります。
聖書の読み方が大切だという事です。
1つの聖句に、深い意味があり、教えがあり、慰めがあり、人生の指針があるのです。
正しく読む事も出来れば、間違った解釈をしてしまっているという事もあり得るのです。
うわべだけを受け取ってしまっている事もあれば、
自分の都合の良い方向で受け取ってる事もある…という事です。
「主を愛し、隣人を愛する」と言う律法学者の答えに対して、
イエスさまは「それを実行しなさい」と言われました。
心で思うだけでなく、行動が必要だという事。
律法学者のように、聖書に何が書かれているか。
新約聖書に出てくるこの言葉は、旧約聖書で予言されていたんだと確認すること。
時代背景を調べ、本当の御言葉の意味を知っていく事。
聖書を「知識的に読む事」も、凄く大切だと思います。
知識的に読み、聖書に関する知識を増やすという事は、私たちの信仰の助けにもなります。
誰にでも、信仰が揺れる事があります。
誘惑を受ける事もありますし、クリスチャンに傷付けれる事もあります。
教会に問題が生じる事もあります。
その様に自分の信仰に揺れを感じた時、聖書の知識が自分を繋ぎとめてくれる役割を果たす事があります。
大きな問題が生じ「本当に神はいるのか」「今まで感じていた神は本当にいたんだろうか。偶然だったのか…?」と
頭を過ぎる事があるのです。
その様な時に、知識的な聖書の解釈、聖書の凄さ、聖書の偉大さを知っているのと、知らないのでは大きな差があると思います。
自分の気持ちは簡単に揺れ動いてしまいますが、
得た知識は、消される事はないのです。
本当は特別に知識が無くても幼子のように信じる事が出来るのが一番良いと思います。
しかし、私たちは少し年をとると、幼子のような信仰がなくなり、
疑う事をするのです。
疑うという状況になった時、知識が信仰を繋ぎとめてくれます。
…もちろん、知識的だけでなく「霊的な目」で読むことがもっと大切です。
どの様にして「霊的な目」で聖書を読むことが出来るのでしょうか。
「礼拝」です。
礼拝を通して、牧師先生の説教を通して、聖書の意味を知っていくのです。
また、「分かち合い」って凄く大切だと思います。
自分の知らない主に出会える!!
人それぞれ、与えられた問題が違ったり、体験する主の導き、与えられた御言葉、経験が違います。
それを分かち合う事によって、得れる恵みが倍増するのです。
分かち合いやクリスチャンの「交わり」「証」を通して、互いに祈り支え合ったり、
励まし合い、学び合い、信仰を保つのです。
信仰は、何もしないと無くなるものだと思います。
日本ではキリスト教はマイノリティーです。
世の中に流れは、キリスト教的ではない事が殆どなのです。
だから私は、自分の信仰に警戒心が必要だと思っています。
私は「自分は信仰を無くすかもしれない」とよく思っています。
信仰は守るもの!!
聖書を知識的に知ることも大切ですが、
それだけでは律法の専門家のように、真に信仰にプラスにはならないのです。
知識的だけでなく、霊的な目で読めるように…
自分に都合の良い解釈をしないように…
共に祈りつつ、励まし合いつつ、信仰を守っていきましょう!!
「主よ。あの土地が私たち(LOVE BIBLE)に与えられますように!」