私を守ってくれるもの【詩篇121:1-5】

2023年

私は山に向かって目を上げる。私の助けは、どこから来るのだろうか。
私の助けは、天地を造られた主から来る。
主はあなたの足をよろけさせず、あなたを守る方は、まどろむこともない。
見よ。イスラエルを守る方は、まどろむこともなく、眠ることもない。
主は、あなたを守る方。主は、あなたの右の手をおおう陰。

詩篇121:1-5

働きに行っている病院の患者さんで、90歳の女性が居られます。

小柄で上品な感じがする方です。

自分の力で起き上がる事が日に日に難しくなり、補助が必要です。

トイレも自分で歩いて行く事が出来ないので、ベッドの横にポータブルトイレを置いています。

トイレに行きたい時は、ナースコールを鳴らし、手助けしながらトイレに座る事が出来るのです。

年を重ねるとトイレの回数が増えます。

看護師さんでなくても、私でもできる補助なので、私が勤務の時はこのAさんを積極的に接していました。

ある日、看護師さんが「Aさんの足元に置いてる羽織もの…セリーヌなのよ~!」と言うのです。

私「へーそうなんですか~! 何となくお家柄が良さそうな方ですよね~」

と話している時に、Aさんからナースコールが。

私とその看護師さんがAさんのお部屋へ。

そして看護師さんが服のタグを私に見せながら

看護師さんがAさんに「Aさん! セリーヌお好きなんですか?」と言い、

私が「Aさんは、良い所の奥様ですよね~」というと

A「もうね… 私にはそれは何の助けにもなりません…」と言われたのです。

その一言に、Aさんの寂しさを深く感じました。

そして時間を見つけAさんのベッドへ行き、話をしました。

ご主人は10年以上前に他界されており、息子さんは仕事で離れて暮らしており、娘さんも結婚して近くにはおられない。

「亡くなった主人が残してくれたもの(家や経済的なもの)に、守られて生きて来たの」

「でもね、私がこうなったら(自分で自分の事が何も出来ない)、私を守ってくれるものは何もない…」

「私は、少し裕福な家で生まれ育ててもらい、結婚も良い結婚が出来たの。何不自由ない生活を送る事が出来たの。

でもね、もう家柄は何の役にも立たない。

ずっと自分は守られてると思っていたけれど、今は何も自分を守ってくれるものがない。」と悲しそうに言うのです。

そして「あなたは私に嫌な顔をせず、温かい言葉で親切にしてくれる… でもあなたは、ずっと私の側で私を守ってくれる人ではないもの…」

私「残念ですけど…

ご主人がAさんをずっと守ってあげれないように、私も自分の子どもさえも、ずっと守ってあげる事は出来ないです…」

「人間には人間を守るってことに限界がありますね…」

A「ご先祖様にも守られてるんだろうけど、分からないしね…」

私「ご先祖様ですか~ そうですよね~ ご先祖も人間ですし、亡くなってますしね~(笑)」

「あ~ でもね~ 私には私をずっと守ってくれる方がいます!(笑)」

A「ずっと…?」

私「私、クリスチャンなんです! イエスキリストってご存知ですか?」

A「もちろん知っていますよ。あなたクリスチャンなのね~ 通りで…」

私「通りで? 通りで何ですか?(笑)  通りで親切? 私はAさんに親切には出来ますが、守ってあげる事は出来ないですよね~ 残念ですが… 」

A「イエスキリストはずっとあなたを守ってくれるの? イエスキリストも、もう亡くなったわよね?」

私「そうなんです。キリストももう亡くなたのですが、生き返られたっていうのはご存知ではないですか?」

A「何をおっしゃってるのかしら…」

私「キリストは一度十字架で亡くなったのですが、3日後に生き返られたんですよ! Aさん、聖書を読んだことありますか?」

A「女学校時代に… あ、何となく思い出したわ。キリスト教の学校だったの」

私「わー凄いですね~! 」と話していると、他からのナースコールが鳴り…

私「Aさん! 私、またお話ししに来ますね! 今もイエスさまがAさんを守って下さっていますよ!」とだけ伝える事が出来ました。

「Aさんにとって必要な事だけを話す事が出来ますように。話をする機会を与えて下さい。」と祈りつつ病室を出ました。

…年配の患者さんは、日に日に元気がなくなったり、今まで出来ていた事が出来なくなったり…

ご自分でも気付くぐらいの変化があります。

そうなってから、多くの方が自分の人生を振り返られるように思います。

病院ではコロナやインフルの感染対策をしていますので、自由に面会がでいる訳ではなく、

独り長い時間をベッドで過ごすのです。

夜勤をしながら、多くの人が寝れない時間を過ごし、孤独と戦っているのを感じます。

主を知らない…というのは、人間にとって本当に孤独であり不安…

人生の終盤に差し掛かり、色んな事を振り返り、そして時間は迫っているのを感じながら…

身体は日に日に動かなくなっていく。

「もう嫌になる…どうしてこうなったんだろ…」と呟く方が多いです。

…私たちは救い主がいると知っています。

私たちに主が居られるというのは「福音」なのです。

今日も、主との時間をお過ごしください。

私たちがしなければならない事、主が私に望まれている事を知り、行動する事が出来ますように!

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