モーセは民に答えた。「恐れてはならない。落ち着いて、今日、あなたたちのために行われる主の救いを見なさい。あなたたちは今日、エジプト人を見ているが、もう二度と、永久に彼らを見ることはない。主があなたたちのために戦われる。あなたたちは静かにしていなさい。」
出エジプト14:1-14
今、眼の前に置かれた自分の状況に満足していますか?
私は、今、右にも左にも避けて通る道がなく、前にも後ろにも進む道がない状態です。
四面楚歌状態…💦
私たちの人生には、時々この様な絶体絶命的な状態に陥る事があります。
このような状態に追い込まれた時、
どうすれば良いのでしょうか。
私たちはまず、神さまに「どうして…」と文句を言ったりします。
そして、周りの信頼できる人に相談するのです。
そして助言を求めるのです。
自力で今の状況から脱出できない…
かと言って、その場に留まる事も出来ません。
だから、もがくのです。
私も何度もこのような状況に追い込まれた事があります。
そしてやっと、どのようにこのような状態から脱出すれば良いのか、
頭では分かり始めました。(行動が伴わない…)
私が考える答えは「静かにする」という事です。
騒いだり、文句を言ったり、泣いたりして、問題が解決するのであれば、良いのですが、
もがいても、私にある問題は解決しないのです。
このような証を聞いた事があります。(大雑把な記憶ですみません)
あるアフリカに行った宣教師が、その地の人と生活をしながら伝道しようとある村で牧師として地域住民として生活をしたのです。
そしてある日、青年たち数名が「狩りに行く」というので、
先生も付いて行ったそうです。
しかし、森林の中は足場が悪く、進む事は私たちには難しい事です。
青年たちは動物の気配を感じ、あっという間に走って行ってしまったのです。
先生も走りましたが、ついて行く事が出来ず、青年たちを見失ってしまいました。
青年たちは狩りを終え、村に帰ってから、先生とはぐれた事に気が付いたのです。
慌てて、住民たちは先生を探しに出かけました。
宣教本部にも連絡をいれました。
モーターをふかし、ボートの様な舟にのり、川を走らせ
「先生!どこにいますか? 答えて下さい!!」と叫び続けたのです。
しかし、見つからず、1週間が経ちました。
絶望的…
そして最後の捜索として、舟で出かけたのですが舟は走っている内にエンジンが止まってしまったのです。
「もう…こんな時に!神さま!一体どういうことですか? 先生を見捨てるのですか!!」と怒りを感じたそうです。
すると声が聞こえました。
「おーい!! こっちだ! 助けてくれーー!!」と。
先生を見つける事が出来たのです。
ここまで読んで、どうして先生が見つかったのか分かりましたか?
先生を一刻も早く探したいと言う思いから、先生の名前を叫び続けた声、
そして先生を探そうと必死になって走り続けたエンジンの音で、
先生の助けの声を聞くことが出来ていなかったのです。
先生はずっとエンジンの音がすると叫び続けSOSを出し続けたそうです。
しかし、先生はいくら「ここだ!」と叫んでも、舟は通り過ぎるだけ…。
探している側は、先生を全く見つける事が出来なく、諦めないといけないか…と思った時にエンジンが落ちた💦
本当に、最悪な状態に、最悪な状態がプラスされた状況だと感じたと思います。
しかし主は今日の御言葉のように語られたんだと思います。
「静かにしなさい…」
主の御声は静かなのです。
私たちが「もう嫌だ!!」「神さま!! 一体どうなってるのですか??」と声を上げてる時は
主の声が聞こえないんだと思います。
静かに、主の前に座り、主の声を聞こうと心を落ち着かせなければならない…
「主があなたたちのために戦われる。」
「あなたたちは静かにしていなさい。」
主は、私たちの事を凄くご存知です。
だからと言って何も言わずに「主が全てご存知でしょ?」と投げやりな態度は良くないです。
まず、こんな時に主に祈れる事を感謝する。
自分が助けを求めれる主がいて下さる事を感謝する。
そして、主に自分の思いを聞いて頂くのです。
主の導きを願うのです。
主の御心通りになり、私が主の御心を理解する事が出来る知恵を与えて下さい。と。
絶体絶命の時、主が語ろうとされている時でもあるのです。
今日は、主に語りながら一日を過ごしたいと思います。
今日も、主と共に歩み、主の御心を知る一日となりますように。
PS. 今日も、心を込めて一言、心の中でお祈りお願いします。(ブログ2023.04.28~)
「主よ。あの土地を私たち(LOVE BIBLE)に与えて下さい!」