しかし、主は、「わたしの恵みは、あなたに十分である。というのは、わたしの力は、弱さのうちに完全に現れるからである」と言われたのです。ですから、私は、キリストの力が私をおおうために、むしろ大いに喜んで私の弱さを誇りましょう。
Ⅱコリント12:9
久しぶりの友達から連絡がありました。
大抵、何かあった時に連絡をくれる友達です。
「神さまは、私の祈りには答えてくれない」
「他の人には働かれる神さまかもしれないけれど、私には働いて下さらない」
「祈っても何も変わらない…」
「神さまは私を忘れている様な気がする…」と言うのです。
…多分、こんな思いは誰もが経験した事があるように思います。
すっごく、凄く願っているのに、聞いてもらえない…
絶対に、どう考えても、こうなるのがベストなのに、与えてもらえない…
願えば与えられるって聖書に書いてあるのに…
祈ったら願いとは反対のものが与えられたり。
祈らない方が良いような気がしてきた…と言います。
どうしてなんでしょうか。
多分それは、一言で答えれば「主の思い(計画)と私の思い(計画)が違う」から。
私が切に願っても、主の思いや計画と違う場合、与えられない。
主は、私にとって良いと思うものを与えられる方です。
…新約聖書に出てくるパウロは、偉大な伝道者です。
パウロには病がありました。
それが癒されるようにパウロは切に願いました。
しかし、その願いは聞き入れられませんでした。
主は「私の恵みは、あなたに十分である。私の力は、弱さのうちに完全に現れるから」と言われました。
「私はあなたに沢山の恵みを与えたじゃないか。これぐらい我慢しなさい」と言われたのではないのです。
不便だけど、これ位よしとしよう!ではなく、
沢山のものをあたえているんだから、これぐらい受け取ったら?
…ではないのです。
今の病がある状態がパウロにとって恵みであり、良い状態だと言うのです。
弱さがあるからあなたは働けているんだよ。
だからその弱さはあなたにとって必要なんだ。
弱さはあなたにとって恵みなんだ。
私たちの目には、病は不必要なものであり、絶対に取り去ってもらいたいものです。
ですから、誰もが「病の癒し」を切に祈るのです。
しかし、主の目にはパウロにとっては病は必要なものなのです。
「主は私に一番良いものを与えて下さる方」という事実を受け入れないと、
「主は私の祈りを聞いて下さらない」と感じ、私たちは悲しくなってしまいます。
イエスさまは、私たちの「祈りを聞いてもらえない」という悲しみをご存知です。
イエスさまも、祈りに答えてもらえていないからです。
イエスさまが天の父に求めた祈り…
「父よ。どうぞ、この杯をわたしから取りのけてください」と、地面にひれ伏して祈り願われてした。
しかし、天の父はイエスさまの願いを退けられたのです。
切なる願いを聞き入れてもらえなかったイエスさま。
この時のイエスさまの心境は、
「わが神、わが神。どうしてわたしをお見捨てになったのですか」
イエスさまは、祈りを聞いてもらえず、「捨てられた」という心境を経験されたのです。
イエスさまは願いを聞き入れてもらえない人間の絶望感、落胆、喪失感をご存知なのです。
しかし、そのような人間の悲しむ心をご存知であっても、
主は、一番良いものを与えたいのです。
何故なら、愛しているから。
愛する子に、一番良いものを与えたいのです。
そう思ったら、主も辛いですね…
一番良いものを与えても、私たちは自分の欲しいものが与えられないと、悲しむのですから。
やはり祈りは、イエスさまがされたようにするべき…
「アバ、父よ。あなたにお出来にならないことはありません。どうぞ、この杯を私から取りのけてください。しかし、私の願うことではなく、あなたの御心のままを、なさってください。」
自分の願いの後に、しかし主の御心のままに…という思いを持つ事が大切…
私は「御心のままに」の後に「私が、主の御心や計画を悟る事が出来ますように…」と祈っています。
このブログを書きながら思い出した詩があります。↓
~ニューヨーク・リハビリテーション研究所の壁に書かれた一患者の詩~
【病者の祈り】
大事を成そうとして、力を与えてほしいと神に求めたのに
慎み深く従順であるようにと、弱さを授かった
より偉大なことができるように、健康を求めたのに
よりよきことができるようにと、病弱を与えられた
幸せになろうとして、富を求めたのに
賢明であるようにと、貧困を授かった
世の人々の賞賛を得ようとして、権力を求めたのに
神の前にひざまずくようにと、弱さを授かった
人生を享楽しようと、あらゆるものを求めたのに
あらゆるものを喜べるようにと、生命を授かった
求めたものは一つとして与えられなかったが、願いはすべて聞き届けられた
神の意にそわぬ者であるにもかかわらず
心の中の言い表せない祈りは、すべてかなえられた
私はあらゆる人々の中で、最も豊かに祝福されたのだ
今日も、主と共に歩み、主の御心を感じる一日となりますように…
「主よ。あの土地が私たち(LOVE BIBLE)に与えられますように!」