神を愛する人々、すなわち、神のご計画に従って召された人々のためには、神がすべてのことを働かせて益としてくださることを私たちは知っています。
ローマ8:28
今朝、次男を学校に送っている道中、突然1つの事が思い出されました。
長男が生まれた時の事です。
長男は出産予定日が12月中旬だと言われていました。
しかし、予定日が来てもなかなか生まれようとしませんでした。
そしてお医者さんが「そろそろ年末に入りますし、促進剤で出産を考えませんか?」と言われました。
薬により陣痛を起こさせるのです。
日本語が殆ど出来なかった夫は「子どもは自然に生まれるもの。薬で誕生して欲しくない!」と言い、
先生も承諾してくれ、自然に生まれるのを待ちました。
そして万一に備え、年末から入院。
予定日を過ぎると、一日ごとにお腹が大きくなっていくのが分かりました。
入院していると、他の患者さんには「わー双子ちゃん??」と言われるまでにお腹が大きくなり…
結局、予定日より3週間遅れで年を越して生まれました。
なんと…4,230g!
当時の子どもでも、3000gを超えると「大きい」と言われるのに(笑)
その3週間の間、私たちはお腹の子に語りかけました。
「そろそろ生まれて~」「もう生まれて良いんだよ~」「生まれて欲しいな~」「生まれてくるの待ってるんだけど…」「早く会いたいな…」と。
しかし一向に生まれようとしませんでした。
そこ時、感じた事は、
お腹の子は、お腹の中が居心地が良く、外の世界に行きたくない…と思っているんじゃないか?と夫と話していました。
このお腹の中は平和で温かいのに、どの様な世界か良く分からない外の世界に行く事を躊躇しているように感じたのです。
夫と「自分たちも同じだな… 文句言いながらもこの世が良いと思ってる。ずっと長くこの世で生きようとしている。良く分からない死後の世界へは行きたくない。だって不安だから。良く分からないから…」
このように話した事を思い出しました。
どうして急にこんな事を思い出したんだろう…と思っていると、
また1つの詩を思い出しました。
そして家に帰って、随分前にメモをしたものを探しました。
誰の詩か書き留め忘れたのか分からないのですが…
【病む】
病まなければ、聞き得ない慰めのみ言葉があり
病まなければ、捧げ得ない真実な祈りがあり
病まなければ、感謝し得ない一杯の水があり
病まなければ、見得ない奉仕の天使があり
病まなければ、信じ得ない愛の奇跡があり
病まなければ、下り得ない謙遜の谷があり
病まなければ、登り得ない希望の山頂がある
病気になるとは、この世的には辛く苦しいことで、避けたい事です。
大きな病気になれば尚更、苦しく感じ重苦しい日々が強いられたりします。
不安に襲われ、答えのない答えを探そうと、心の中で葛藤が渦巻くのです。
しかし、この詩の著者は「病にならなければ…」という一般的に感じる内容ではなく、
「病になったからこそ…」という内容です。
この詩で目に留まるのは「得」という表現です。
病は「得」なのでしょうか。
病が「得」だと言う人より、圧倒的に「損」だと感じるものではないでしょうか。
しかし著者は、
病になったからこそ「知り得た恵み」があり、
病になったからこそ「得た恵み」があり、
病になったからこそ「主の恵み」があると言うのです。
…私たちは、知らない世界へ行く事に不安があります。
死への世界もそうですし、環境が変わることにも。子どもも、誕生する時にその様に不安なのかもしれません。
私たちは、先の見えない世界への不安があるのです。
病になって生活や人生がどの様に変化するのか不安なのです。
また自分の病を通して家族への影響も考えます。
しかし私たちの神は
「全ての事を働かせて益として下さる神」なのです。
未知の新しい世界、今までに経験した事がない困難、経験した事がないプレッシャー、不運と思われる出来事。
新しい世界には、今まで経験した事がない、主の恵みが待っているんだと感じました。
その世界に足を踏み入れてこそ、体験できる恵みが必ず準備されている。
主は、困難だけを与えられるのではなく、それを通して特別な恵みを備えられている。
そのことを今日は覚えて過ごしたいと感じました。
今日も、主と共に歩み、主に期待してお過ごしください!!
「主よ。あの土地を私たち(LOVE BIBLE)に与えて下さい!」