これは、神を求めさせるためであって、もし探り求めることでもあるなら、神を見いだすこともあるのです。確かに、神は、私たちひとりひとりから遠く離れてはおられません。
私たちは、神の中に生き、動き、また存在しているのです。
使徒の働き17:27-28a
先日、夫が何年も前に家族で一緒に見た韓国ドラマの話をしました。
「 あれって、あの時、主人公の人は何て答えたっけ?」と、昔見たドラマのセリフを思い出したかった様子。
それは時代劇で、私は余り興味を感じなかったのですが、夫が「 これは韓国人ならみんな見たドラマ。それに韓国の歴史も知っておいた方が良い!」と言われ、家族で一緒に見ることにしました。
突然聞かれても、何年も前に見たものを思い出せず、
私「 んー忘れた…」
そして、そのドラマの動画を見ながらセリフを探しました。
久しぶりに見る韓ドラ。
自分の頭の中で、少しずつ前に見たドラマの記憶が蘇ってきます。
そしてふと思い出したのです。
初めは、見る事に乗り気ではなかったのに、見ておいたほうが良い!と言われ、面倒だな…と思いつつ見始めなのに、
見ているうちに面白くなり、見るのが楽しみになっていった事を思い出しました。
いつも夕飯を食べながら1話ずつ見ていました。
そして、思い出したのです!
当時、そのドラマを見ながら、自分の中に「 歪んだ感覚」がある事に気付いた事を!
時代劇ですから、戦の話です。
主人公を中心に話が進み、主人公が善のように描かれています。
それを何の知識もない私が見ると、制作者の狙い通り、私の心も主人公を善とした視線でドラマを楽しんでいるのです。
そしてある日、家族でご飯を食べようと、長男が「 今日は何話だったっけ?」と、子どもも楽しみにドラマを見る準備。
「うわー、凄いな…」
「このままじゃ主人公たち危ないなぁ💦」など話しながら戦の場面を見ていました。
その時に私の心に「 そんなに楽しい?」という声を聞いたのです。
え…???楽しいけど…と思いつつ、
ハッとしました。
私にとってこの時のこのドラマは、まるで酒の肴。
夕飯を食べながらドラマを楽しんでいたのです。
人が人を殺すところを、ワイワイガヤガヤ言いながら、主人公が戦で有利に立てば「(正義が勝って)良かった…」と楽しんでいたのです。
びっくりしました。
本来ならば、拒絶反応を起こすはず…
目を塞いでしまうのが正しい反応ではないでしょうか?
最も見にくい人間の姿。
人間の欲のために、人を殺すのです。
それを私はご飯を食べながら、続きを楽しみにしながら見ていたのです。
私の中に間違った、歪んだ感覚がある。
主から凄く凄く、遠く離れてしまってるんだ…と感じた瞬間でした。
忘れていた記憶が蘇りました。
あ…祈ろう…
祈る中で、感じた事は、
戦争中、自分の意志とは反して強制され戦場に送り込まれ、
愛する家族のもとに帰る為に、
敵とされている人を殺めるという事があったと思います。
この人の罪と、酒の肴的に、人間同士の殺し合いのドラマを楽しんでいた私。
無意識であったにしろ、それを楽しいものだと、幼い子どもに教え育てていた私。
主は、どちらの罪を大きくみられるでしょうか。
私の罪の様な気がします。
私は、自分の心に何のためらいも疑問もなく、主を悲しませている時があるんだと思いました。
多分、気付いてないだけで、他にもそのように歪んだ感覚が沢山あるんだと思います。
今日の御言葉のように、
私たちが主を探し求めるなら、主を見いだすこともある…
主は、私たち一人ひとりから遠く離れてはいない… アーメン!!
本当に日々、祈って過ごす必要があります!
自分の歪んだ感覚に気付き、主の似姿に居る事が出来ますように…
今日も主に祈りつつ歩む1日をお過ごし下さい!!
「主よ。あの土地が私たち(LOVE BIBLE)に与えられますように!」