人の目にはまっすぐに見える道がある。その道の終わりは死の道である。
箴言14:12
昨日のブログでアダムとエバの話に触れながら…
改めて「そうだよな~」と思った御言葉がありました。
『そこで女が見ると、その木は、まことに食べるのに良く、目に慕わしく、賢くするというその木はいかにも好ましかった。創3:6a』
エバは、今まで園の中央に置かれている善悪の知識の木を目にしていました。
以前から、その木が気になっていた訳ではないと思います。
でも、蛇に「その実を食べるとあなたは神のようになれるんだよ」とそそのかされ、
今一度、その木を見ると、「好ましく」見えたのです。
今まで何とも思っていなかったのに…
急にエバの目に美味しく見え、好ましく映ったのです。
エバは主の言葉ではなく、「自分の目に写るもの」、「自分が感じる感覚」、「自分の価値観による判断」によって手に取ってしまうのです。
同じような間違いが他にもあります。
アブラハムの甥のロトです。
アブラハムのグループとロトのグループがよく揉めていたのです。
そして一緒に生活するのが難しくなり、分かれて生活する事になりました。
アブラハムはロトにどちらの方面に行きたいか先に決めて良いと言いました。
ロトは目を上げて自分の目には主の園のように、、またエジプトの地のように潤って見えるヨルダンの低地全体を選び取ったのです。
しかし結局、その地は罪にまみれた土地であり、主はソドムとゴモラを滅ぼしたのです。
エバもロトも、自分の目に、自分のインスピレーションに頼り、選び取ってしまったのです。
選ぶ前に、主に祈らなかったのです。
罪や誘惑は、魅力的なのです。
魅力的だから罪であり誘惑なのです。
罪や誘惑は一度手にすると、それを手放すのは本当に困難なのです。
サムソンを思い出して下さい。
怪力の持ち主のサムソン。
サムソンは女性関係に弱い人で2度も同じ方法で失敗をしています。
結局、2度目の遊女デリラに、自分の力の秘密を話してしまい、敵のペリシテ人に捕まり、目をえぐり取られ、結局はペリシテ人と共にサムソンも死んでしまいました。
デリラは「どうすればあなたを縛って苦しめることができるのでしょう。どうか私に教えてください。」とダイレクトに何度も聞くのです。
誰が聞いても、この女性はサムソンを愛していない。と気付くはずです。
にも拘らず、サムソンはこのデリラを自分の近くに置き、警戒しなかったのです。
サムソンには傲(おご)りがありました。
自分の秘密「7つの房になっている髪の毛を剃る事」について、
ヒントを含ませてデリラに答えているのです。
自分に勝る者はいない。
絶対に自分は大丈夫。
という傲りの心…
罪や誘惑は魅力的に見え、正しい判断を出来なくするのです。
何かを選択する時、
自分の思い通りにいかない時、
また突然と目の前に良い道が開かれた時、
一度手にする前に、主の前に心を明け渡し、主に決めてもらいましょう。
今日の御言葉は、私がいつも心に記そうと思う御言葉です。
自分が正しいと思っても、
自分が良いと思っても、
私が良心的に考えたとしても、
それは主の前には正しくないかもしれない…
自分の怒りをコントロールする為に、一呼吸置く!という話を良く聞きます。
これと同じだと思います。
選択・決断をする為に、一呼吸置くように、一度祈る!
もっと言えば、
家を出る前、人に会う前、仕事を始める前、何かを提案する前、誰かにアドバイスする前、無事に仕事を終えた時…
一つ一つ手を止め、一呼吸置くように祈る!
まず主を思い出し選ぶ、信仰生活をすることが出来ますように…
『心を尽くして主に拠り頼め。自分の悟りにたよるな。あなたの行く所どこにおいても、主を認めよ。そうすれば、主はあなたの道をまっすぐにされる。箴言3:5-6』
「主よ。あの土地が私たち(LOVE BIBLE)に与えられますように!」