教会の中に問題が多い…【マルコ2:17】

2023年

医者を必要とするのは丈夫な者ではなく、病人です。わたしは正しい人を招くためではなく、罪人を招くために来たのです。

マルコ2:17

8/5のブログに「人に失望していませんか」という内容を書きました。

これを書くことになったきっかけの友達。

すなわち、同じ教会員の人に失望してしまった彼女からまた連絡が来ました。

一旦、教会では皆を失望させた女性を受け入れ…という方向に向かっていたのですが。

今回の事がきっかけで、教会の中がギスギスした雰囲気になっているそうです。

何となく愛に満ちた状態とは正反対な雰囲気…だそうです。

居心地が悪く、教会に行っても楽しく感じるどころか、ちょっとため息が出そうな感じ…

彼女は、自分はこのままここに留まるべきなのか。

この際、教会を変えるか…と悩んでると言います。

いつも愛に満たされた教会であって欲しいと思いますが、

雰囲気が良くない時、また攻撃的な人が居る時、愛のない一言を言う人が居る時…など

何となく、居心地が悪いと感じる時があります。

今までそうでもなかったのに、何かのきっかけで教会が揺れる時があります。

何となく彼女のように「この際、他の教会に変える?」「行ってみたい教会に行ってみようか…」などという思いが湧いたりします。

何となく、臭いものにはフタをしたくなります…

どうしたら良いのでしょうか。

私は、教会は絶対に変わるべきではないとは思っていません。

時には、変わる事も必要だと思っています。

しかし、変わる前に祈り、考えて欲しいと思う点があります。

教会は、この世にあるという事です。

完璧な教会がないように、清い教会もないのです。

教会の中でも罪があるし、間違った判断をすることもあります。

嫉妬や争いもあり、盗みがある事もあるのです。

間違った教えを行い、異端と呼ばれるようになったり…

教会とこの世との違いは…と思ってしまう事があります。

しかし、覚えておきたい事があります。

イエスさまは、この罪にまみれた世界に来られたという事です。

清いお方が、馬小屋で生まれ、十字架で亡くなったのです。

清いお方が、人間の姿をとられ、罪にまみれたこの世に来られたのです。

欲にまみれ、自分の事ばかりを考え、自分の利益を求め、感謝より不満の方が多い私たち。

そのようなこの世に来てくださったのです。

自分の罪でさえ気付いていない私たち。

清い主は、この世でどのような思いで過ごされたのだろう…

イエスさまを信じると告白しながら、何か問題が生じると疑ったり、簡単に不信仰になる私たち。

感謝の涙を流しても、直ぐにまた主を忘れたり…

清いお方なので、私たちが感じる以上の不快感があったのではないかと思います。

どうして、主はこの世に来られ、十字架の死まで歩む事をされたのでしょうか。

主の愛が大きいからです。

どうしても救いたい…

どうしても罪の赦しを与えたい…

生きる希望を与えたい…

死の恐怖から解放させたい…

という思いが大きいからこそ、このドロドロとした世界に来られたのではないでしょうか。

正しく立派だから、主が私の罪を許して下さったのではなく、

どうしようもない罪人だから、同じ事ばかり繰り返す罪人だから、

主がそれを許す為に、この世に来られたのです。

主は、どの様な罪人も見捨てられない方です。

そんな事を考えたら、

私は、教会の問題を起こす人と、ドングリの背比べのような気がします💦

もちろん、教会は主の愛に溢れていて欲しいし、

良い兄弟姉妹に出会える場所であって欲しいです。

教会がその様な場所となるように、私から兄弟姉妹を愛していくべき…

問題が生じたら、その問題と向き合わず場所を移す…ではなく。

向き合う事も時には必要…

教会は主が建てられたものだからです。

一人一人が主に導かれた教会です。

今ある教会に、主が呼ばれたからです。

主の愛が溢れるそのような教会へと成長できるように、まず私が御言葉により主に満たされ、沢山の愛を受け、それを流せるようになりたいです。

主によって信仰が成長しますように…

「主よ。あの土地が私たち(LOVE BIBLE)に与えられますように!」

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