「わたしの思いは、あなたがたの思いと異なり、わたしの道は、あなたがたの道と異なるからだ。―主の御告げ―
天が地よりも高いように、わたしの道は、あなたがたの道よりも高く、わたしの思いは、あなたがたの思いよりも高い。
イザヤ55:8-9
最近、民数記を読んでいていました。
イスラエルの民がエジプトから脱出して、神様がイスラエルの民のために用意してくださってい
『約束の地』を目指している旅路の途中で、主はモーセに言いました。
「人々を遣わして、わたしがイスラエル人に与えようとしているカナンの地を探らせよ(民数記13:2)」
選ばれた12名が「約束の地」カナンの地に偵察に行くのです。
40日かけて偵察し、まず10名は、
「カナンの地は、乳と蜜が流れ素晴らしい地である。
しかし、その地に住む民は力強く、その町々は城壁を持ち、非常に大きく…私たちはイナゴのように見えた」と報告。
残り2人、カレブとヨシュアは、先の10名と同じものを見ても報告の内容が正反対でした。
「すばらしく良い地だった。もし、私たちが主の御心にかなえば、私たちをあの地に導き入れ、それを私たちに下さるだろう。あの地には、乳と蜜とが流れている。ただ、主にそむいてはならない。その地の人々を恐れてはならない。」と言いました。
この差は、カナンの地を「自分の目と心で見た人」と、「主の目と心で見た人」の違いだと思います。
「人を見た人」と「主を見た人」の違いです。
結果、前者のゆえに、40年間も荒野を彷徨ったのです。
そして前者の10名は約束の地に入れませんでした。
主を信じたカレブとヨシュアは、約束の地に入ることができました。
主の約束を信じ、信じた通り答えた者は、答えた通りの人生を歩めたのです。
無理だと呟いた者は、無理だったのです。
「自分の感情で物事を見る」のと「主の約束を信じて物事を見る」のでは物の見え方が違います。
そして自分の出した答えの通りの人生を歩む事になるのです。
そんな事を考えている時に、
韓国の知り合いから夫に連絡がありました。
もともと夫の友達で、その友達もクリスチャンであり、韓国の教会の長老さんです。
この長老さんには娘さんが2人います。2人とも凄く綺麗な娘さんです。
姪っ子のように思ってるその上の娘さんAちゃんからの連絡。
母教会の牧師先生の勧めで、お見合いをしたそうです。
相手の男性は、三代目のクリスチャンで、三代目の牧師先生だそうです。
それを聞いて私は「え、良いんじゃない?!」と言うと、
何と、断ったというのです。
相手の方は話を勧めようとされたそうですが、Aちゃんは自分が牧師夫人になる…とはあまり想像できなかったようで。
不安に思ったAちゃんは、母教会の牧師夫人を訪ね「牧師夫人になってどうですか?」と話をきいたそうです。
すると、牧師夫人が今までに大変だった苦労話を沢山されたそうで…
それを聞いて、「即答で断った!」と言うのです。
「祈らないで断ったの??」と聞くと「だって無理だよ。私には!!」
電話を切って、夫とこのAちゃんの話をしながら
私「今日読んだ聖書の箇所を思い出したよ…どうして祈って決めなかったんだろう…」と言うと
夫「Aちゃんの父親(長老さん)も若い時に同じ事したな…(笑)」
と言い話を聞かせてくれました。
長老さんが20代の時に、熱心なクリスチャンだったので、牧師先生が「神学校に行ったらどうだ?牧師を目指すのなら、神学校への推薦書を書いてあげるよ」と言われたそうです。
そして、数日悩みながら、もう一度相談しようと牧師先生を訪ねたそうです。
そして牧師室に入ると、牧師室には本棚が多く、本がぎっしり入っていたそうです。
その本の多さを見て「牧師になるってこんなに勉強しないといけないのか…」と感じ、結局は相談せず神学校行きを断ったそうです。
それを聞いて…
簡単に起こりうる事なんだ…と思いました。
私も沢山、自分の目で見て判断し、賢明な判断!とか思い過ごしてきたんだろうな…💦
この長老さんは未だに「あの時、神学校に行ってたら…」と良く話すようです。
自分の目と心で判断せず、主の計画に聞き従う…
本当に分かってるようで…
多分直ぐに忘れてしまい、自分の目と自分の経験で、多くのものを選び取ってしまってるように思います。
決断する前に、一瞬祈る習慣をつけたいです!!
主の約束を信じ、信じた通り答えた者は、答えた通りの人生を歩めるのです。
今日も明日も、信仰を持って、主と共に歩む一日となりますように!
「主よ。あの土地が私たち(LOVE BIBLE)に与えられますように!」