もし、私たちが自分の罪を言い表すなら、神は真実で正しい方ですから、その罪を赦し、すべての悪から私たちをきよめてくださいます。
Ⅰヨハネ1:9
クリスチャンの友達から連絡がありました。
教会で問題が起き失望している・・と。
話を聞くと、教会に凄く良い働きをしていた姉妹がいるそうです。
人当たりが良く多くの人からも好かれるタイプ。
初めて教会に来た人がいれば、必ず声をかけ自然と交われるように配慮が出来る姉妹が居るそうです。
そして、この姉妹に思いもよらない失敗(罪)が発覚したそうで・・
教会内で問題視されているとの事でした。
電話をくれた彼女によると、認められ好かれていた分、教会内での驚きが大きいようで、ショックを受けて教会に(キリスト教)失望感を感じている人も居るというのです。
偶然、1人の人が姉妹の罪を知り、驚き他の人に話し・・それが教会内で広がったのです。
注目された姉妹は、牧師先生を含めた教会員の前で、自分の罪を告白し悔い改めたそうです。
罪を持ったままの信仰生活は「苦しくてたまらなかった」と・・。
それに対し、
姉妹を受け入れられない人が過半数を超え、
「罪は誰でも犯してしまう。姉妹は悔い改めたのだから、私たちが責めるのは違う」と理解してくれた人も少数いたそうです。
電話をくれた彼女は、受け入れられない側・・・
姉妹が好きで期待していた分、ショックが大きかったのでしょう。
「もう信じられない・・」を連発。
今までニコニコと接していた姉妹を、もうどの様に信じて接して良いのか分からない。
裏切られた感があり、許せない思いが大きいのです。
こういう事って・・あって欲しくはないけれど、あり得る話ですよね。
私も何度か、すごく人に失望したことがありました。
韓国に留学中に、韓国語も良く分からない私に凄くよくしてくれた伝道師先生がいました。
住む所に困った時期があり、数年、先生の自宅で住ませてもらった事もあり、信仰においても凄く学ぶ事が多い先生でした。
夜中に2人で教会に行き、朝まで祈るという事を教えてくれました。
祈りの素晴らしさ、重要さ、祈りの世界を教えてくれた先生だったのです。
私は凄く先生が好きだったのに・・・
ある日、男の人と駆け落ちをしたのです。
ある日を境に、教会を去り、一言も残さず音信不通に・・
彼女が「ショックだ」と言うのを聞きながら、私は当時の事を思い出しました。
凄くその気持ちが分かるのです。
私も先生に対して、今まで良くしてくれたこと、教えてもらったこと、全てがうそだったように感じてしまったのです。
でも、数年経って分かりました。
私は「先生の行動」「先生の信仰」「先生のリーダーシップ」「先生の献身的な姿」が、好きだったのです。
先生そのものの存在ではなく、先生の行いが好きだったのだと気付きました。
人間的にショックを受けるかもしれないけれど、
先生を許せない、受け入れられないというのは、私が先生そのものを愛していなかったという証でもあるんだ・・と思いました。
その話を電話をくれた彼女にしました。
電話を終え、この伝道師先生を思い出し、
主のもとに帰るよう、主と共に人生を歩むという選択をされるように祈りました。
そして、心に1つ問いかけが起こりました。
主は、私たちの存在自体を愛してくれています。
私が、何か大きな犠牲を払って奉仕をしたからと言って愛してくれている訳ではないのです。
私は、どうして主を愛しているんだろう。という疑問。
祈って、それに答えて下さる神だから・・ではないだろうか。
私に答え、私が呼ぶ時助けて下さる神だから・・
私は主を必要とし、主を愛しているのかもしれない。
そうであれば、自分に答えてくださらない神は愛せなくなり、
自分の人生に必要ない神となるのです。
もし私の愛がそのような愛であれば、
何か大きな試練に遭った時、私は主の手を離してしまうかもしれません。
主を本当に愛さないと・・
揺さぶられたら、直ぐに諦めてしまう愛ではいけないのです。
ヨブのように、ダビデのように、ヨセフのように、主自体を愛し信じ付いて行く愛を持てますように・・・
今日も、主と共に歩み、主自体を愛する1日となりますように!!
「主よ。あの土地が私たち(LOVE BIBLE)に与えられますように!」