あなたがたは心を騒がしてはなりません。神を信じ、またわたしを信じなさい。
ヨハネ14:1
クリスチャンの友達が、難しい中に居ます。
「もう本当に・・分からない。主の考えてくる事が分からない。どうしてこんな事が起きるのか。」
「自分が何をしたから、こんな事が起きるのか」
「こんな事が起きる事に意味がある?」
「主は一体、どんな意味を持って計画を持ってこの様にされているのかが理解できない」
止まることなく不満が湧き出てくるのです。
その気持ちとってもよく分かります。
「どうして???」と、主に詰め寄りたくなりますよね。
自分の頭では理解できない事が起こるからです。
しかし、聖書を読むと、今置かれている状況を「よく理解しなさい」とは書かれていません。
「理解しなさい」とは書かれていないのです。
聖書が言うのは「信じなさい」です。
今ある状況が理解できなくても、「私を信じなさい」と言われています。
どうして説明をされず、単に信じなさいと言われるのでしょうか。
私たちは永遠の視点を持っていないからです。
長く生きれて100年しか生きれません。
その100年の内の数年、もしくは数ヶ月、数日の出来事だけをフォーカスして「どうして・・」と言われても、主の計画を私たちが把握する事はできないのです。
「私を信じなさい」「信じて待ちなさい」としか言えないのではないでしょうか。
スティーブ・ジョブズのスタンフォード大学での卒業式のスピーチを知っていますか?
3つの話をしたのですが、その内の1番目の話「点と点をつなげる」という話が好きです。
ジョブズは、深い考えがないまま大学に進み、意味を見いだせずに中退をしました。
そして、自分の興味があった「カリグラフィー(文字の書体)」だけの授業を聴講していました。
ジョセフは興味を持ってその授業を楽しみましたが、
当時、実際に人生で役に立ちそうな授業ではなかったのです。
しかし、10年後、マッキントッシュ(MAC)を開発する事になった時、ジョブズはMACで美しい文字の種類を選択できるようにしたのです。
マッキントッシュが世界で初めて、美しい文字を選択できる初めてのPCとなったのです。
大学を中退してそのカリグラフィーの授業を受けていなければ、PCに美しい文字の選択は出来なかったのです。
大学を中退してあまり将来に役にたちそうでない授業を受けるという事は、人の目には価値のない行動です。
せっかく大学に行けたのであれば、そこで最後まで学ぶか、
中退するのであれば、働くという選択をすることが、人の目に価値があるように映ります。
無意味で、将来役にたちそうでない事を、正式な学生ではなく、学生に紛れて聴講した授業が後に花を咲かせたのです。
主の働きは、このようなジョブズが経験したものと似てるように思います。
自分の目に意味を見いだせず、価値がそれほどないように感じることでも、それらがいつか繋がり、実を結ぶ時が来るのです。
今感じる苦しさや、辛さ、理不尽な出来事にも意味があるのです。
主は意味なく、私たちにその様なものを与えられない方なのです。
100年しか生きれない私たちは、目先の事しか考えられないのです。
だから私たちは、主を信じ歩むのです。
全てを益として下さる主。
良いものを与えて下さる主。
ジョブズが大学を中退し、働かず将来性を感じれない授業の聴講をしている時、
周りの人はどう思ったでしょうか。
親は何と言ったでしょうか。
想像ですが、肯定的な目でジョブズを見てあげる事は出来なかったように思います。
その様な時間を過ごす事もあるという事です。
全てが右上がりに人生が進むわけではなく、通り道は辛く苦し事が多いかもしれません。
私たちは、主を信じ、期待しながら待ち、一歩ずつ前に前進するのです。
私たちの主は素晴らしい方なのですから!
今日も、主と共に前進しましょう!!
「主よ。あの土地が私たち(LOVE BIBLE)に与えられますように!」