「一番たいせつなのはこれです。『イスラエルよ。聞け。われらの神である主は、唯一の主である。
心を尽くし、思いを尽くし、知性を尽くし、力を尽くして、あなたの神である主を愛せよ。』
次にはこれです。『あなたの隣人をあなた自身のように愛せよ。』この二つより大事な命令は、ほかにはありません。」
マルコ12:29-31
律法には、
「~してはいけな い」という356の禁止事項と、
「~しなさい」という248の積極的に守るべき掟、
合計、約604もの戒めがあるようです。
パリサイ人や律法学者たちは、イエスさまを陥れようと沢山の質問をしました。
また純粋にイエスさまに尋ねたく質問をした人もいました。
両者が同じ内容の質問をしているものがあります。
何か分かりますか?
「律法の中で、大切な戒めはどれですか(マタイ22:36)」
「すべての命令の中で、どれが一番大切ですか(マルコ12:28)」
何を一番大切にしないといけないのですか?という質問です。
イエスさまの答えは、
第一に「心を尽くし、思いを尽くし、知性を尽くし、力を尽くして、あなたの神である主を愛せよ」
第二に「あなたの隣人をあなた自身のように愛せよ」です。
今日はこの御言葉を考えたいと思います。
簡単に言うと「主と隣人を愛する」という事が大切だという事だと思います。
他のものを神とはせず、偶像とせず、私たちの全てを尽くして私たちの神である主を愛する。
感情だけでなく、頭でだけでもなく、私たちの全体をもって、主を愛する・・
主が言う「愛する」とは・・
「あなた方が私を愛するなら、あなた方は私の戒めを守るはずです。(ヨハネ14:15)」
「誰でも私を愛する人は、わたしのことばを守ります。(ヨハネ14:23)」
「神を愛すると言いながら兄弟を憎んでいるなら、その人は偽り者です。(Ⅰヨハネ4:20)」
感情的に「愛する」だけでなく、戒めや主の御心などを行う・・行動が伴うと言う意味です。
聖書では、愛することは「感情」だけでなく「行動」が伴うと教えており、特に主を愛するということは、戒めや御心など、「主が願うこと」を私たちが行うことを指しているのです💦
主を愛することは、「感情」と「行動」が伴う必要があるのです。
どちらが欠けてもいけないのです💦
主を愛していると言いながら、御言葉や御心に不従順でいるという事はいけないという事です。
しかし、御心を知りながらも行動できない時もあります・・
凄く疲れていて、凄く苦しくて、凄く辛くて・・絶対に許せなくて・・
心が伴わない時、どのようにするのがベストなのでしょうか。
マタイ21:28-31の話を思い出します。
お父さんが2人の息子に「ぶどう園に行ってくれ」と言った話です。
兄は「行く」と言ったが、行かなかった。
弟は「行きたくない」と言ったけれど、後で悪かったと思い行きました。
2人の内、父親の願いに答えたのは、弟だと聖書に書かれています。
主が喜ばれたのは弟だという事です。
心が完全に伴わなくても、行動する事は喜ばれる事だと思います。
行動すれば心が付いてくる事も多いです。
イエスさまも十字架に架かる時、
「父よ。御心ならば、この杯を私から取りのけてください。しかし、私の願いではなく、御心の通りにして下さい。(ルカ22:42)」と言われました。
イエスさまは「従いたくない」と言われたのです。
しかし「私の願いではなく、御心通りに・・」と祈られました。
「従いたくない!!」と言っても良いのです。
ただ、御心に従う事が、主が喜ばれる事・・
だから、
「御心であるならば私の心を変えて下さい」
「従う力を与えて下さい」
と祈るのが良いと思います。
主を愛するという事を考えると・・・
主に「あなたは私を愛していますか?」と聞かれたら、
感情だけなら「はい!!」と答える事は出来ますが、
行動まで考えると、気安く「はい!!」と答えにくくなります💦
自分は主が喜ばれる選択、喜ばれる言動、喜ばれる人生を歩めているだろうか・・
私が主をどれ程愛せているか・・自分の行動をチェックするのも良いかもしれません。
もし主に「あなたは私を愛しますか?」と聞かれたら・・何と答える事ができますか?
今の私は・・・「はい・・愛しています。・・でも、もっと愛せるようになりたいです・・」と言うのが、精いっぱいの答えのように思います。
感情だけでなく、行動・・
これを心に留め、今日一日を過ごしたいと思います。
今日も、主を愛する一日をお過ごしください!!
PS. 今日も、心を込めて一言、心の中でお祈りお願いします。(ブログ2023.04.28~)
「主よ。あの土地が私たち(LOVE BIBLE)に与えられますように!