イエスは答えて言われた。「神を信じなさい。
まことに、あなたがたに告げます。だれでも、この山に向かって、『動いて、海に入れ』と言って、心の中で疑わず、ただ、自分の言ったとおりになると信じるなら、そのとおりになります。
だからあなたがたに言うのです。祈って求めるものは何でも、すでに受けたと信じなさい。そうすれば、そのとおりになります。
マルコ11:22-24
「あなたの信仰があなたを救った」と言うイエスさまの言葉。
福音書を見ると、イエスさまは多くの癒しを行われています。
そして、何度となくこの様な言葉を言われました。
このイエスさまが言われた言葉、福音書に書かれている4つの話に出てきます。(7回使われています)
➀ 罪深い女がイエスさまの足を、涙でぬらし髪でぬぐい香油を注ぐ(ルカ7:50)
② 12年間長血を患っていた女性に対して(マタイ9:22、マルコ5:34、ルカ8:48)
③ 10人のツァラアトの病人を癒す(ルカ17:19)
④ 盲人バルテマイに対して(マルコ10:52、ルカ18:42)
この4つの話を見て分かる事は、4人それぞれ信仰を持って主の前に来たのです。
そして癒しを受けました。
この人たちは「病の癒し」を求め、主の前にひれ伏したのですが、本当は身体的な問題以外にも問題を持っていました。
差別の対象であり、経済的問題、これらによる孤独感や心の傷。
主がこの人々に与えられた物は、身体的な癒し、肉体的な苦痛からの解放だけでなく、
社会からの疎外されていたという問題からも同時に解放を与えられています。
イエスさまに信仰を持って近づいてきた人々。
弟子たちや群衆に阻まれながらも、必ず癒されるという信仰を持って乗り越えて主に近づいたのです。
そして、イエスさまが目を留められ近くに呼び、言葉を交わされました。
イエスさまとの新しい関係が結ばれ、主との関係の中で生きる道が開けたのです。
イエスさまが言われた「あなたの信仰があなたを救った」という「救い」は、
肉体的・社会的・霊的な側面を含む、包括的な救いを与えられたのです。
癒しを受けたいと思う心は、私たちの切なる願いです。「主よ。どうか私の病を癒して下さい!」と切に切に願い祈るのです。
また我が子が病にかかったら、その願いはもっと切実になります。
多くの親は「むしろ私が代わりにその病にかかります。だから子どもを助けて下さい」というもっと切なる思いで祈りをします。
私たちも、主に病の癒しだけでなく沢山の抱えている問題に対しての解放を願います。
「主よ。どうか助けて下さい。どうか私が持っているこの問題から解放してください」
私たちは切なる思いで、助けて欲しいと祈るのです。
この4つの話を読み返し気付いたことがあります。
「願い」と「信仰」は違うという事です。
この4人は「信仰」を持っていたのです。
信仰を持ち切に願ったのです。
「この方なら必ず癒される」という揺るぎない信仰があったのです。
・・私は沢山の「願い」を持って祈っていたな・・と気付きました。
今まで、つらつらと願いを祈っていた事に気付きました・・
そう思ったら、今日の御言葉もグッと近くに感じます。
「心の中で疑わず、ただ、自分の言ったとおりになると信じるなら、その通りになる」
「祈って求めるものは何でも、すでに受けたと信じなさい。そうすればその通りになる」
アーメン! このような信仰が欲しいです。
しかし、信仰を持って祈るという事は、自力ではできません。
聖霊さまの助けが必要なのです。
聖霊さまに満たしが必要なのです。
今日は、聖霊さまに「私にこの4人の方のような信仰を与えて下さい」と祈ります。
今日も、聖霊さまの導きを感じる一日をお過ごし下さい!
PS. 今日も、心を込めて一言、心の中でお祈りお願いします。(ブログ2023.04.28~)
「主よ。あの土地が私たち(LOVE BIBLE)に与えられますように!」