さて、イエスがある町におられたとき、全身ツァラアトの人がいた。イエスを見ると、ひれ伏してお願いした。「主よ。お心一つで、私をきよくしていただけます。」
イエスはてを伸ばして、彼にさわり、「わたしの心だ。きよくなれ」と言われた。すると、すぐに、そのツァラアトが消えた。
ルカ5:12-13
今日の聖書の箇所が、この「皮膚病の人を癒す」箇所でした。
この話を読んで思い出す場面があります。
昔、子どもがまだ小さかった時、韓国の大学の先輩の教会に訪問したことがあります。
韓国本土から離れた小さな島で牧会していました。
先輩がいる島は漁業が盛んな小さな田舎といった感じでした。隣の島にも連れて行ってもらいました。隣島は、小さな島全体が「ハンセン病患者の療養区域」として指定されていました。
島のあちらこちらに「ここはハンセン病者の療養区域の為、タバコ禁止」と書かれていました。
一般人も入る事が出来、島はそれほど大きくはなく車でグルっと一周回れるほどでした。
島の中は凄く自然が豊かで、島自体がキレイに整備されており、時間がゆっくり流れているような、絵本に出てくるような可愛い田舎という感じでした。
しかし凄く違和感を覚えました。その島に入ってから誰一人として姿を見かける事なかったからです。
この島の中にある教会に訪問し、この教会で仕えている牧師先生に話を聞きました。
「昔と違って、ハンセン病は治る病気になった。でも人の目を気にしてこの島でずっと過ごす人がいる。
病にかかり変形してしまった自分の身体を通しての、心の傷が大きい・・」と話していました。
一度感染したという事を本人も気にしてるし、周りの家族も気にしている。
多くの人は、普段からあまり外に出て散歩などをしないし、島に誰かが入ってきた場合、それを察して誰も出てこない。
そしてこんな話もされていました。
ハンセン病は、「潜行(せんこう)」する病だと言われました。水中を潜って歩くように、人知れず隠れて動くという意味です。
ある時に症状が出ても、すぐに症状が治まるのです。(体内に潜っている)
症状が治まったので安心していると、次に症状が出た時はかなり進行した状態だと話されました。
ここで療養している人たちは、処置が遅れ身体が変形した人が殆どで、人の目に避ける為、ここに来て生活していると話されました。
今の時代にもこのような場所が存在し、全く知らなかった事実にショックを受けました。
先輩家族と私たちの家族で、教会に入り、この島の祝福と慰めを祈った記憶があります。
今日の聖書の箇所に出てくる「ツァラアト」は重い皮膚病だそうです。(ハンセン病(らい病)と理解されていましたが、少し違うようです)
ここで目に留まったのは「イエスは手を伸ばして、彼にさわり・・」の部分です。
「イエスさま・・触られたのか・・」と思いました。
他の福音書を見ても「彼にさわり」と記録されています。(マタイ8:2、マルコ1:41)
「触った」という事、重要だと思います。
主が触らず、手をかざしても治す事が出来たはずです。
主はわざと触られのではないかと思います。
病にかかった人は、家族も友も、全ての人に避けられて生きてきたのです。
どれ程、孤独であり、人生に希望がなく悲しい思いだったのだろうと思います。
もし、私がこの人であったら、主に触ってもらう事で「慰め」を受けると思います。
「触って」という短い文に、
主は、病だけでなく、心の傷も癒されたという意味があるように思います。
3つの福音書に、この人が「主よ。お心一つで、私をきよくしていただけます。」と言ったと記載されています。
この「お心一つで・・」と言う言葉に、言葉だけで癒しを受けれるという信仰があったとも解釈できますが、
「私に近寄らなくても大丈夫です・・」という思いが潜在意識としてあったのではないかと思いました。
主は、この人が切に願った「体の病」だけでなく、長く持ち続けた「心の傷」にまで心を留めて下さる方・・・
そんな事を黙想していると、心が満たされます。
また、改めてこの個所を通して、韓国で見た「ハンセン病の療養区域」を思い出し・・
ハンセン病の「潜行」する病が「罪」に似ていると思いました。
罪で汚れた私たち、初めは「あ・・」と心が罪の意識をキャッチしても、法を犯すことなく、誰かに咎められる事がなかったら、私たちは直ぐに犯した罪を忘れてしまいます。
その罪の汚れが、私たちの心に一度抱かれた悪い思いは、無くなることなく私たちの身体や心に「潜行」しているのです。
見過ごした罪は、私たちの中で成長するかもしれません。
軽い気持ちで繰り返していた万引きが、大人になって犯罪を犯す事があります。
「あ・・これぐらい大丈夫・・」を繰り返すと、罪の意識が薄れると言います。
罪が表に出た時、取り返しがつかなくなっているかもしれません。
日々、自分の罪について、見逃している罪がないか、祈る必要があると思いました。
今日も、主の導きの中を歩む1日となりますように!
PS. 今日も、心を込めて一言、心の中でお祈りお願いします。(ブログ2023.04.28~)
「主よ。あの土地が私たち(LOVE BIBLE)に与えられますように!」