「神の前に富む」という生き方【ルカ12:13-21】

2023年

群集の中のひとりが、「先生。私と遺産を分けるように私の兄弟に話してください。」と言った。

すると彼に言われた。「いったいだれが、わたしをあなたがたの裁判官や調停者に任命したのですか。」

そして人々に言われた。「どんな貪欲にも注意して、よく警戒しなさい。なぜなら、いくら豊かな人でも、その人のいのちは財産にあるのではないからです。

それから人々にたとえを話された。「ある金持ちの畑が豊作であった。

そこで彼は、心の中でこう言いながら考えた。『どうしよう。作物をたくわえておく場所がない。』

そして言った。『こうしよう。あの倉を取りこわして、もっと大きいのを建て、穀物や財産はみなそこにしまっておこう。

そして、自分のたましいにこう言おう。「たましいよ。これから先何年分もいっぱい物がためられた。さあ、安心して、食べて、飲んで、楽しめ。」』

しかし神は彼に言われた。『愚か者。おまえのたましいは、今夜おまえから取り去られる。そうしたら、おまえが用意した物は、いったいだれのものになるのか。』

自分のためにたくわえても、神の前に富まない者はこのとおりです。」

ルカ12:13-21

今日の聖書の箇所は、、、

「貪欲に気を付けなさい。欲をもって色々と計画を立てた所で、自分の命はいつ終わるかわからないんだから」という話です。

確かに・・・私たちは自分で色々と想像し、ああしよう!こうしよう!と、頭で沢山の計画を持ちます。

人間にはもともと「欲」をもって生まれています。

しかしその欲が「貪欲」にならないように注意しなさいと言われているのです。

貪欲とは・・もっと欲しいという心です。

もっと〇〇が欲しい! もっとこうなりたい! もっと大きな家が欲しい! 格好いい車が欲しい! 良い学歴が欲しい! 誰もが羨む大手の会社に就職したい!

良い業績を残したい! 成功したい!! 一目置かれたい! ビッグになりたい! 社会的地位が欲しい! 褒められたい・・!など。

一見、向上心のようにも見えます。

しかし「向上心」というのは、自己成長や目標達成の為、自分自身を高める事を追求するものであり、

「欲」は、物質的な欲望や、地位、名声、快楽などの個人的な利益や要求の充足追求です。

どうして、貪欲に気を付けるように言われたのでしょうか。

貪欲とは欲を超えたものです。

初めから「貪欲」があったのではなく、「欲」が「貪欲」に成長したのです。

欲は成長します。コントロールしないと、どこまでも成長するのです。

「どんな貪欲にも注意して、よく警戒しなさい」とイエスさまが言われています。

誰でも陥りやすいので、言われているのではないでしょうか。

自分は、このような欲望を持っているという事を自覚する必要があります。

自覚しないと注意できないからです。

初め、「〇〇だったら、良いな~」と言う軽い思いが、「絶対〇〇を手に入れたい」「どうして手にいれれないんだ!」と変わって来るのです。

この〇〇が、「人に認められたい」と言う思いを入れて見て下さい。

初めは軽い承認欲求だったとしても、その思いが成長し、「どうして人は自分を認め、一目置かないのか?」と言う思いになってしまいます。

自覚がないと、人は何故、自分をもっと褒め認めてくれないんだと腹が立ち。

人に認められたい。今不公平だと思う。こんな自分ではないはずだ。不当な扱いを受けている。

今置かれている状況は不当だと信じてしまうのです。 大切に扱われるべきなのに・・

自分の欲だと忘れてしまった貪欲は、自分を苦しめる大きなストレスへとなるのです。

貪欲は私たちの内側の問題です。

貪欲は、自分の頭の中をグルグルと巡る続ける歩みなのです。

自分が思考の中心にあり、自分の人生を自分で握っているのです。

空の鳥や野のユリ(マタイ6:26-28)は、自分の中を巡る生き方ではないのです。

自分の人生を自分で握る生き方ではなく、主の備えや恵みに寄り頼む生き方です。

この生き方が、「主の前に富む生き方」だと思います。

主を覚え、主の備えや恵みに寄り頼み、「主のもの」として生きる生き方。

主は「欲を捨てなさい」とは言われませんでした。

与えられた物に感謝し、楽しみ、満足して生きる事を望まれているのです。

私たちに慎ましく生活をし、贅沢をしてはならないと禁じているのではないのです。

時として贅沢が与えられたなら、それは感謝して楽しむのが良いのです。

自分の「欲」について、立ち止まり考える事が大切です。

「欲」は私たちをウキウキさせ、空想に浸らせ、自分の中を巡る生き方へと導くものです。

自分の中を巡る生き方から解放され続ける必要があります。

自分の中を巡る生き方から解放され、「主のもの」となる生き方・・

これは、「欲」のように自分に何か、上を目指すプラスになるものだけが手放す対象と言う訳ではないです。

マイナス的な「自分には出来ない」「自分には価値がない」「ちっぽけな存在」というような、自分の弱さを握りしめて生きる生き方からも解放される必要があります。

自分の弱さを手放す生き方も、「主の前で富む」生き方なのです。

今日も主を覚え、主によって生かされていると確信し、色々な思いを主の前に手放し、主の前で富む者として今日を生きましょう!

PS. 今日も、心を込めて一言、心の中でお祈りお願いします。(ブログ2023.04.28~)

「主よ。あの土地が私たち(LOVE BIBLE)に与えられますように!」

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