イエスさまの愛はマイナスの愛です【ヨハネ15:12】

2023年

わたしがあなたがたを愛したように、あなたがたも互いに愛し合うこと、これがわたしの戒めです。

ヨハネ15:12

先日、電車に乗っている時、隣に凄く小さい赤ちゃんを連れたママさんが座っていました。

多分、生まれて2-3ヶ月ぐらい。

赤ちゃんは静かに寝ていました。ママさんは、凄く小さく可愛い赤ちゃんを眺めていました。

私も一緒になって「なんて可愛いんだ~」と思いながら眺め、思わず「すっごく可愛いよね~」と口から言葉が漏れました。

「え? あ・・はい。ありがとうございます🥰」と。

ママさんと赤ちゃんは次の駅で降りていきました。そしてふと、長男次男が赤ちゃんの時を思い出しました。

心の中で「長男次男も、可愛かったよな~」と思い・・「え?可愛かったよな~って過去形?」と思い。

「あれ?いつから可愛かったという過去形に変わったんだろう?」と考えました。

今は可愛くないのか? → いやいや、今も可愛い。→ でも可愛いだけじゃない → 怒る事が増えてる → いつから増えてる? → 小さい時は何をしても可愛かった → お漏らししても可愛かった → いつから可愛いより注意したり怒ったりする事が増えたんだろう → どうして増えたんだろう・・

今は純粋に「可愛い」と思うより小言が多くなっています。

単に子どもが成長してきたから?

成長したらどうして「可愛い」より「小言」が増え、時には本気で腹を立ててしまう事があるんだろう。

どうして私は「100%可愛いだけ」から「小言」の割合が増え腹を立てるようになったのか。

子どもが何度注意しても話を聞かないから。自分勝手な行動や発言をするから。まだまだ子どもで出来ない事も多いのに、偉そうに言うから。

・・まとめると、私がこうした方が良い(正しい)と思った通りに出来ないから。

赤ちゃんの時は、寝て食べて泣き、時々笑顔を見せてくれます。それが全てです。

場所をわきまえて泣いたり、おむつを濡らすわけではないのです。電車の中で泣き始めれば、子どもをあやし人の迷惑にならないように、あたふたします。

第三者に文句を言われれば、謝ります。これらは子どもを守る行動です。

しかし、いつの間にか私は子どもの第三者的な立場に立ってしまっています。ルールを守らない子どもに文句を言うのです。

いつから私の立ち位置が移動したんだろう・・

夫に対しても同じです。

結婚する時は、全てが愛らしく感じ、失敗したり出来ない事も可愛く感じたり・・「あばたもえくぼ」です。

しかし、結婚生活が続くとため息がでます。「何度も言ってるのに、どうして分かってくれないんだろう?」「どうして出来ないんだろう」「なんて頑固なんだ」

「あばた」は「えくぼ」ではなく「あばた」であり、実際のあばたより大きく見えたり、夫に対するマイナス的な評価となるのです。

「あばた」を見てイライラするのです。

いつから「あばた」は「えくぼ」でなくなったんだろう。

私に愛情がなくなった訳ではなく、

私が持つ愛情が「自分中心」であり「自分勝手」な愛情だからです。

私が望むような行動や発言をしてくれないからです。私の気持ちを察してくれないからです。

「私はこんなにも仕えてあげているのに、あなたは私にこれぐらいもしてくれないの?」

自分の愛情に見合った愛情を返してくれないからです。

自分が夫にあげる愛情が・・・自分が愛情を受けようとする手段となり、自分が愛情を受けようと相手を支配するものになってしまっているのです。

「私がこれ位あなたを思ったから、あなたもこれ位は私を思って当然」

ルールがある愛情なのです。

プラスマイナスゼロ、もしくは少し自分にプラスにならないと満足できないのです。

自分がマイナスになれば、不満や文句や低評価となり、ストレスを感じるのです。

自分が、この人と生きて行きたい!と思った相手に対しても、また自分の一番身近な子どもに対しても、私は自分がマイナスにはなれないのです。

イエスさまの愛は・・・全てを捨て犠牲を払って下さる愛です。

イエスさまにとってプラスになることはなく、マイナスの愛です。マイナスしかない愛です。

主が私たちに望まれている愛情は「私があなたがたを愛したように、あなた方も互いに愛する」です。

見返りを求めない愛。人をコントロールしない愛。仕えるだけの愛。

決して自分がプラスになろうとしない愛です。

自分には相手をプラスにしてあげようという愛がなく、±0の愛しかないと常に記憶する必要があります。

初めの愛から離れてしまった私(黙2:4)

今日は、初めの愛を思い出そうと思います。

主の愛に満たされ、その愛情を他の人に流す1日をお過ごしください!

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