先が見えない人生【エレミヤ29:11】

2023年

わたしはあなたがたのために立てている計画をよく知っているからだ。―主の御告げ―それはわざわいではなくて、平安を与える計画であり、あなたがたに将来と希望を与えるためのものだ。

エレミヤ29:11

自宅に、「ノアの箱舟」「カナの結婚式」「戸を叩くイエスさま」のパズルを飾っています。

それを見ながら思い出した事があります。

コロナ禍が始まった年、中学に進学した次男は、しばらく学校に登校できない日が続きました。

この間に何か思い出になる事を一緒にしたいなと思い、パズルに挑戦する事にしました。

殆ど、パズルをしたことがなかったのですが、1000ピースに挑戦しました。

夫と次男と3人でしたり、次男と2人でしたり。讃美歌をかけながら、色々な話をしながら毎日少しずつ取り組みました。

なかなか苦戦しながらも、良い時間を持てました。

昨日、このパズルを見ながら当時を思い出し・・ふと昔、韓国で聞いたメッセージを思い出しました。

「信仰生活は、完成図のないパズルのようだ」という言葉です。

普通、パズルは完成図を見ながら進めます。そして手にしたピースがどの部分なのか想像しながら、一つずつ、ピースをはめていくのです。

パズルが完成した時、完成図の絵柄と何一つとして違いなく再現されるのです。

ですから、時間がかかっても、着実に一つずつピースをはめて進めていく事が出来ます。

スタートする時から、ゴールが見えているのです。

そしてピース一つ一つが、その場所で合っているのか完成図と照らし合わしながら、着実に進めていけるのです。

しかし、完成図がないパズルがあったらどうでしょうか?

スタートの時点で、ゴールを予測出来ないのです。これはどんな絵柄なんだろう?と分からずに一つずつはめていくのです。

時には少し無理をして合わないピースとピースをはめてしまったりもします。

忍耐を持って進め、何となく絵柄を予想する事が出来るかもしれません。

しかし、最後まではめないと本当の姿、完成品を見る事が出来ないのです。

「信仰も完成図がないパズルのようだ」と言うのです。次の一手が分からないのです。

どの様な絵柄になるのか、想像さえも出来ないのです。

アブラハムも、「あなたの国をでて、私が示す地に行きなさい」と言われ旅立ったのです。

スタートは「ウル」という場所です。しかしパズルの絵柄が分からないように、ゴールがどこか、どこに向かっているのか分からないのです。

パウロもそうです。パウロは主を迫害する人生でした。しかし主に立ち返り、人生を主の伝道に捧げたのです。迫害している時は、まさか自分がクリスチャンになる事さえ想像できなかったでしょう。私たちの想像を遥かに超え、主に仕える歴史に残る人生を歩んだのです。

エステルの人生も、両親が亡くなり、モルデカイに引き取られ、王妃となり・・イスラエルの民を救う役割を果たす人物になるなんて、想像も出来ない人生です。

ヨセフもそうです。奴隷として売られ、牢獄に入れられたにも拘らず、エジプトの宰相になったのです。父親や兄弟と再会する事も出来ました。エジプトや近隣の国を飢饉から守る役割を果たしました。

ダビデもそうです。彼は羊飼いでした。幼い時に油の注ぎを受けましたが、サウル王に命を狙われ、逃亡生活を強いられ、のちにイスラエルの王となるのです。

先が全く見えないのです。

私たちの想像も出来ないストーリーが、私たちの人生に準備されているのです。

完成図は想像できませんが、主が与えてくれるひとピースずつ地道に当てはめ進めていくのです。

完成図のないパズルは、大部分が完成しても、まだ真の姿が分からないのです。

信仰と同じです。

人生が晩年になっても、完成図はまだ分からないのです。大部分が見えて来ても、最後のピースをはめるまで、完全なる姿を知る事が出来ないのです。

私たちキリスト者の人生は、主の偉大な計画を初めから知って、歩むのではないのです。

一歩一歩ずつ歩んで行くのです。

完成図は、私たちの想像を超えたものになるのです!!

期待して、今日も与えらえたピースをはめ、一歩ずつ歩みましょう !

今日も、主の中で豊かな1日をお過ごしください!

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