あなたは、施しをするとき、右の手のしていることを左の手に知られないようにしなさい。
あなたの施しが隠れているためです。そうすれば、隠れた所で見ておられるあなたの父が、あなたに報いてくださいます。
マタイ6:3-4
右の手のしていることを、左の手に知られないように・・
難しいですね・・(笑)
「人に見られようとして善行をしてはいけない」という事ですよね。
人助け、施しは、人が私を、どの様に見ているか、こうすれば人に認められ、しないと非難されるなど考えずに行動することこそ、本当の善行・・・
人の評価を気にしてするのは、それは人の為にすると見せかけて、実際は自分の為にしている行為だからです。
それでは、自分が人から評価される為に、困っている人を利用してしまっているのです。
隣人の為、神さまの為と言いながら、実は自分の為だけに行動している人たちを、イエスさまは偽善者と呼ばれました・・・
偽善者にならないために、困っている人を見かければ、何も考えなくてもすぐに助けの手を差し伸べられるような人になっていきたいものです。
5節を見ると「隠れた所で見ておられるあなたの父が、あなたに報いてくださいます」とあります。
どうして、天の父は隠れた所から見ておられるのでしょうか?(笑)
聖書って面白いですよね。どうして隠れているんだろう。。。
隠れる必要があるのかな・・と考えてみました。
隠れて見るという事は、私も周りの人にも気付かれないように、見ておられるという事です。
主は私たちに、施しは隠れてするようにと言われ、主も隠れて見てる・・・
考えられるのは・・・
人に対して見られてると意識せず、施ししなさいと言われていますが、人だけでなく、主に対しても・・ですね。
「主よ~ 私の善行、ちゃんと見ておられますか?」というのではなく、
人も、主も、誰も見てなくてもするのが善行。
また主が、堂々と見ておられたとしたら、私たちは主の目を気にして、人を施そうとします。
そのような善行も、人の為というより、自分の為。人を利用した施しとなってしまいます。
施しの動機が、承認欲求ではなく、イエスさまが、哀れみの心だけで、人に施して下さったように、私たちも施す・・・
施しって難しいですね。
また、主はどうして私たちに施しをするように言われるのでしょうか?
施しとは、単に人に物を与えるということだけでなく、主の恵みを分け与えるという意味もあります。
施しをする人を通して、主が貧しい人々に恵みを与えられるのです。
主から預けられた恵みを、他の人に分けるのです。
私たちが今、持っている物、つまり主から与えられた全ての物・・・ これらは、主から私たちに、与えられた恵みであり、実は、全てが自分の物ではないのです。
自分の周りの人々に分け与えるように、主が下さった物だと思います。
少し違う話ですが。
私は、今日の御言葉を目にする時、ダウンタウンの松本さんを思い出します。
2020年5月、22歳で死去した女子プロレスラー・木村花さんに対して、インターネット上で非難や中傷のコメントが問題視されました。
ネットの「誹謗中傷」
松本さんは、これに関するツイートだとは言及去れなかったようですが、誹謗中傷が問題視されている時期に、自信のTwitterに
「匿名で悪口 書いてる人。。。 匿名は良い行ないをするときに使うのですよ。。。」とツイートされたそうです。
匿名は、良い行ないをするときに使うもの・・
本当にそうですよね。
良い行いをする時は、署名でするもの。自分が高慢にならない為に。
これがニュースになっているのを見て「松ちゃん、、聖書的・・・」と思いました。
確かに、名前も顔も出さずに、誰も見ていない所から、無責任な言葉を投げかけ、この世界に誹謗中傷がまん延しています。
そう思ったら、私たちは、主の価値観と、正反対な状態に身を置いて居るという事です。
今日も、一日の中で何度も主を思い出す日となりますように・・・
主の思いが私の思いとなりますように・・
今日も、主の中で豊かな一日をお過ごしください!