軽率に話して人を剣で刺すような者がいる。しかし知恵のある人の舌は人をいやす。
箴言12:18
知恵の書、「箴言」の御言葉です。
聖書って凄いな~といつも思いますが、特に、箴言は凄い!と思います。
聖書は2000年以上前に書かれた書物。箴言は2800年位前?
箴言が書かれた時代は、今の現代と全然違うだろうし、国も違うし、文明も文化も違い、現代はかなり文化も社会も発達しているはず。
聖書は、時代に左右されない、いつまでも色褪せない、知恵の宝庫の書物です。
人間の本質は、時代や国、長い歴史を経ても、変わらないようです。
「聖書は、神が人間に賜った最もすばらしい賜物である。
「私の生涯に最も深い影響を与えた書物は聖書である。」マハトマ・ガンジー
「私が獄(ごく)につながれ、
「聖書は古いものでもなければ、新しいものでもない。
箴言を書いたのは、ソロモンだと言われています。
「軽率に話して人を剣で刺すような者がいる。しかし知恵のある人の舌は人をいやす。」
現代の私たちがこの御言葉を聞いても、納得するというか、そうだよな・・と思わされます。
聖書は、読めば読むほど神秘的な書物です。
私たちは、密かに心の中にため込んでいる言葉が、ついつい口から出てきます。これは、取り繕うことが出来ないのです。
何を考えているかは、その人の口から出て、その人の心や人間性が明らかになってしまうのです。
ついうっかり話してしまった言葉は、剣のようになって人を刺す・・・💦 怖すぎです。
だから、感じたままに不平や批判、怒りの思いなどが生じた時には、特に気を付ける必要があります。
私たちは、怒りを持って人と話す時、大げさな表現をしてしまうのです。
「あなたはいつも・・・」「こんな時は絶対・・」「私だけが・・」
必要以上に重みを置いた言葉が口から出てくるのです。
反対に、相手が考えなく話した事で、私たちの心が刺される事があるという事です。
相手が考えもせずに何となく発言したことが、ずっと自分の心に残ってしまう事。
相手はそんなことを話した記憶さえない位の事に、心を縛られてしまった事。
だから、相手が考えなく話した事に対して、傷つく必要はないのです!
本来、聞かなくて良かった事であり、気に留める必要のない言葉なのです。
心を痛める必要のない言葉を、握りしめてはいけないのです。
それらは、主が私たちに語られた言葉ではないからです。
クリスチャンは、人を批判せず、全てを受け入れ、愛し合いましょう!と言う訳ではなく、
何の考えもなく中傷をし、根拠なく相手を傷つけないように、率先して気を付けるべきです。
人に対して、何か意見や否定をしたい時は、必ずよく考え、明確な理由・根拠・説明が必要です。
人を誉め、励まし、慰める言葉を発するには、意識を持って考える必要があります。
「愛をもって話す」という事を心がけたいです!
知恵のある言葉は、人を慰め、勇気付ける事ができます。
神さまに与えられた自分の口は一つ。1つしかない口から出る言葉が、人を慰める事も出来るし、傷つける事もできるのです。
新約聖書にも、今日の御言葉と似た言葉があります。
「舌を制御することは、誰にもできません。それは少しもじっとしていない悪であり、死の毒に満ちています。私たちは、舌をもって、主であり父である方をほめたたえ、同じ舌をもって、神にかたどって造られた人をのろいます。賛美とのろいが同じ口から出て来るのです。私の兄弟たち。このようなことは、あってはなりません。(ヤコブ3:8-10)」
ホントに、、、💦
私達が、賛美をする同じ口で、主が造られた人を中傷してはいけないのです。
人と話している時も、心の中で「主よ、私の口が人を傷つける言葉を発しませんように。この人のたましいを癒す言葉を与えてください」と、聖霊さまに祈る必要があります。
知恵と愛のある者になりたいです。