1 天の下では、何事にも定まった時期があり、すべての営みには時がある。
2 生まれるのに時があり、死ぬのに時がある。植えるのに時があり、植えた物を引き抜くのに時がある。
3 殺すのに時があり、いやすのに時がある。くずすのに時があり、建てるのに時がある。
4 泣くのに時があり、ほほえむのに時がある。嘆くのに時があり、踊るのに時がある。
5 石を投げ捨てるのに時があり、石を集めるのに時がある。抱擁するのに時があり、抱擁をやめるのに時がある。
6 捜すのに時があり、失うのに時がある。保つのに時があり、投げ捨てるのに時がある。
7 引き裂くのに時があり、縫い合わせるのに時がある。黙っているのに時があり、話をするのに時がある。
8 愛するのに時があり、憎むのに時がある。戦うのに時があり、和睦するのに時がある。
伝道者3:1-4
こんな話を聞いた事があります。
小学校5年のお姉ちゃんと、1年の妹ちゃん。仲良し2人姉妹がいました。
ある時、お姉ちゃんが突然死で亡くなったのです。親も勿論、大変悲しみの中に陥りましたが、妹ちゃんが気になります。まだまだ死を受け入れるには幼すぎるからです。
しかし、妹ちゃんは、特に泣くこともなく悲しむ事もなく、日常を送っていたそうです。両親は心配しました。毎日一緒に学校へ行き、何をするのも一緒だった大好きなお姉ちゃんが、居なくなったのですから。
そして月日が過ぎ去り、妹ちゃんが5年生になった時、突然、妹ちゃんは悲しみに襲われたそうです。今まで殆ど泣かなかったのに、自分がお姉ちゃんの学年になった時に、一気に泣き崩れたそうです。
妹ちゃんは、幼いながらもパパとママが心配するからと、感情に蓋をしてしまっていたようです。
この話を聞いた時、今日の御言葉を思い出しました。
泣くのにも時がある。
伝道者の書の著者はソロモンです。ソロモンの有名な「時の詩」です。
天の下では、何事にも定まった時期があり、すべての人間が意図的に行う行為、「営み」には時があります。
全部で28の営みが書かれています。これは、人生全体を示していると言われています。
この妹ちゃんは、主に泣く時を与えられ、しっかり自分の心の傷と向き合うことができたのです。
私たちも、この妹ちゃんのように、無意識に感情に蓋をしてしまう事があります。
「これぐらい大丈夫」「みんな同じ・・」「こんな事で傷ついてたら・・」とスルーして何事も無かったかのように、日常を送る事が多いです。
反対に、悲しみや痛みが大きすぎる時、勝手に感情に蓋をすることもあります。
また、泣きたかったけど、泣けなかった。泣く場所がなかった。泣き方を忘れた人もいます。
痛みは、大きさに関係なく、私たちの中に溜まっていくのです。
泣くことはとても大切です。心身ともに、霊的にも・・・
起きてしまった事は、無かったことにはできません。
しかし、一度、心の隅に追いやってしまった、痛みを出してきて泣くのはとても勇気がいることです。
自分には、特にない・・と思われる方もいるかもしれませんが。
多分、あります。
忘れている事が多いです。
自分の心の中の大掃除をしてみて下さい。
主の前で沢山涙を流し、沢山の思いから解放されて下さい。
主が私たちの涙を拭ってくださいます。
私は、定期的に、泣くようにしています。
特に、ないな・・と思う時も・・・必ず泣けます。
心に貯めてしまった涙を解放する方法は、私は賛美です。賛美を沢山浴びるのです!
沢山賛美を聞き、沢山賛美をし、沢山泣いた後は、主が新たにまた力を注いでくださるのを感じます。
大きな癒しの時間となります。
自宅で泣く場所がない場合は、私は車の中やお風呂でした事もありますが・・・
場所がない場合、教会が一番良いと思います。遅くの時間でも「お祈りしたい」と言えば使えると思います。
私は何度か、泣く場所がない時がありました。主に「主よ。私はあなたの前で沢山泣きたいのに、泣く場所がありません・・ 私に場所を与えて下さい!」と何度か祈った事があります。
その時は、夢の中で、賛美し号泣してました。
主は、私たちの心の状態をよくご存じです。
主は、泣く者を拒む方ではありません。
主に心を触って頂き、主の前で泣き、主の慰めの力を受けて下さい!
今日も、主の中で豊かな一日となりますように!