見よ。わたしはあなたとともにあり、あなたがどこへ行っても、あなたを守り、あなたをこの地に連れ戻そう。わたしは、あなたに約束したことを成し遂げるまで、決してあなたを捨てない。
創世記28:5
神さまがいるならどうしてこのような事が起こるのか・・・
って思う事ってありますよね?
自然災害、病気など、、、神さまがいるのなら、どうしてこんな事が起こるのか。
神さまは人間が苦しんでいるのを望んでおられるのか?
どうして、苦しんでるのをご存じのはずなのに、そのままにされるのか・・・
エデンの園では、完全な世界でした。苦しみや病などはなかったのです。
アダムとエバは、主の約束に従わない道を選びました。
「アダムとエバさえ・・・」って思いますよね。
でも同じ人間です。私たちがアダムやエバだったとしても、同じだと思います。
現に、人間は、戦争のように大きな大きな失敗をしても、また同じことを繰り返しています。
そしたら、「罪を犯さないように創造してくれたらよかったのに」とも思いますよね。
本当にそうだよな~と思いますが。
これも、主が私たちを愛しているが故、「罪を選ぶ自由」と「罪を選ばない自由」を与えられたのです。
私たちも、スッゴク愛する人が居てたとして、その人と共に生涯を生きたいと思っても、相手にそれを強制する事は出来ません。
相手にマインドコントロールをして共に一緒にいれたとしても、それは本当の愛ではないのです。
自己中心的な、自己満足だけの愛なのです。
本当の愛は、相手も心から私と共に生きたい!という気持ちです。
主も同じです。私たちを本当に愛しているから、
選ぶ自由を与えたのです。本当の愛の関係を望んで居られるからです。
弟子たちがイエスさまに、生まれつきの盲人を見て質問しました。「誰の罪が犯したからですか?」と。イエス様は、
「この人が罪を犯したのでもなく、両親でもありません。神のわざがこの人に現れるためです。(ヨハネ9:3)」と言われています。
病は、主が与える罪の代価ではないという事です。
しかし、災害、病など、実際に沢山起こっています。
これらは主が与えたものだとは思えません。
しかし、主はこれらが起こる事を、許容しています。
私たちの性質でしょうか、全ての物事に意味を持ちたがります。
事が生じると、「理由」が欲しいのです。
どうしてこのような事が起きたのか、その原因があるはずだと思うのです。
忘れてはならない事は、私たちは神さまではないのです。
人間の域を超えて理解する事、想像する事は出来ないのです。
100年も生きれない私たちが、主の計画を悟る事は出来ないのです。
一番の良い例は、ヨブです。ヨブは善人だったと聖書に書かれています。ヨブ程の善人はいないと。
そのヨブに災難が次から次へと襲い掛かってくるのです。
おまけに仲の良い友にまで「ヨブに非があるからだ」と責められるのです。
ヨブの友達は、自分の信仰生活を通して、自分が経験した、知っている主を基準として物事を判断したのです。
私たちが知っている主とは、どれ程のものでしょうか?
私たちは、主の全てを理解できているのでしょうか?
私たちに、物事の理由を決断する事は出来ないのです。
ただ、分かっている事は一つだけあります。
主は、苦しむ人と主は共に居られるという事だけです。
どうして、こんな事が起こったのか、どうして今すぐ助けてくれないのか。
癒してくれないのか。慰めてくれないのか・・・ これらは、私たちには分からないのです。
今日も、私たちと共に居て下さる主に感謝し、主と共に時間を過ごしましょう!
今日も、祝福された一日となりますように・・・