人はその口の結ぶ実によって腹を満たし、そのくちびるによる収穫に満たされる。
死と生は舌に支配される。どちらかを愛して、人はその実を食べる。
箴言18:20-21
聖書には、私たちの口、話すことについて何箇所も書かれています。
何を話すか、という事がとても大切で、言葉は選ぶべきであり、
言葉の重要性を常に記憶する必要があるという事です。
対人的にも、対自的にも、対神的にも、自分の口の結ぶ実によって自分の腹を満たすのです。
自分の発した言葉が、自分の腹に入るのです。
自分の発した言葉(舌)が、自分の死と自分の生を支配するのです。
自分の発する言葉が、「義」であるか「悪」であるか。どちらかなのです。
そして、発した言葉が自分に帰って来るのです。
今の世の中、機転が利いた素早い対応が好まれます。
しかし聖書を見ると、「しかし、だれでも、聞くには早く、語るにはおそく、怒るにはおそいようにしなさい。(ヤコブ1:19)」とあります。
世の中とは反対なのです。
聞くには早く、空気を読み相手を思いやる事に置いては「早く」、
語るのと、怒るのには「遅く」なのです。
口を開く時は、自分の考えだけで口を開くのではなく、開く前に一瞬の祈りが必要なのです。
主が喜ばれない言葉、、、愛のない言葉、攻撃的な言葉、傷つける言葉、否定的な言葉などは、
相手を傷つけるだけではなく、自分の霊も傷つきます。
また、言葉とは、自分の考えが言葉として発せられるのです。
何を考えているのか、が重要なのです。言葉だけ気を付ける事は出来ないのです。
自分の良心や常識で考えて、良い物と判断したとしても、それが主の目にも良い物かどうかは分かりません。
私たちの思考は主と離れてしまっている事を、常に自覚する必要があります。
だから、口を開く前に、一瞬の祈りが必要となってくるのです。
それは、話す時だけでなく、手紙やラインの返信も同じです。「聖霊さま、助けて下さい。」という祈りを習慣化できるようにしたいですね!
自分の言葉を、聖霊さまの支配下に置くことが出来ますように・・・!
人を祝福する言葉、慰め、励ます言葉、愛に溢れた言葉を語ることができますように。
今日も一日、主の愛に満ちた言葉を発する事ができますように!