キラキラした日と、どんよりした日【イザヤ41:10】

2022年

恐れるな。わたしはあなたとともにいる。たじろぐな。わたしがあなたの神だから。わたしはあなたを強め、あなたを助け、わたしの義の右の手で、あなたを守る。

イザヤ41:10

今日、この日も主が造られた一日です。

今日はどのような日でしょうか? しなければならない事が山積みな一日ですか?

それとも待ちに待った一日でしょうか? 凄く悲しい一日かもしれないし、特別記憶にも残らない、なんてこともない一日かもしれません。

私たちは色んな日々に遭遇します。

キラキラした日を過ごすこともあれば、どんよりとして、前があまり見えにくい日を過ごすこともあるのです。

もちろん、私はキラキラした日が好きです。 キラキラした日は、特に何か特別な事がなくても、気分も良いですし、気持ちも前を向きます。口からは感謝がでます。賛美を口ずさみます。

どんよりした日は、気持ちが重く感じ、何となく疲れを感じます。これから先を考えても、明るい未来を想像しにくくなります。考える事が多くなり、主への語りかけも感謝より愚痴が多くなります。

しかし、どちらも主が準備された日なのです。

主は深い計画があり、キラキラした日を与えたり、どんよりした日を与えたりされるのです。

どんよりした日は、好きではないですが、結果的には学ぶことが多い日のような気がします。

良い日も良くない日も、主に語りかけるという事が、大切だと思います。

主は、私たちが認識してもしなくても、共におられ、愛してくださっています。

しかし、私たちが、自分の気分によって、主との交わりを望まず、耳を塞いでいる場合、主の語りかけを聞くことは出来ないのです。

結果的には、主は共に居られても、共に居られると感じる事が出来なくなるのです。

どの様な日でも変わらず、主が与えて下さった一日であると記憶しながら、主に話しかけましょう。

気分が悪いなら、その事について話せば良いのです。心に浮かんだことを、何でも話せば良いのです。

主は、私よりも私についてよくご存じです。ですからかしこまったり、よそいきな語りかけは不要なのです。

ありのままの姿、ありのままの心の状態で主に話しかけるのです。

「主よ、、今日はどんよりした日を与えて下さったのですね。体調が良くないです。私はウキウキした日を過ごしたいのに・・ 何か今日、私に語りたい事、教えたい事があるのですか? どうか私に語って教えて下さい。」

どの様な状態であっても、自分の気分によらず、自分の状態によらず、主の所に行き、喜びを見つけましょう!

主は、私たちが幸せに生きる事を望まれています。

ただ、幸せに生きる事、= 毎日ウキウキ ではないです。

私たちも、自分の子どもが、毎日幸せに生きる事を望みます。しかし注意する事もあれば、叱る事もあります。愛しているからです。

愛しているから、強い言葉で叱る事もありますし、涙させることもあるのです。

主も同じです。

私たちを愛してくださってるが故、キラキラした日だけでなく、どんよりした日を下さるのです。

今日はどんな日になるのか・・・

期待しながら、語りかけながら主と過ごす一日となりますように・・・!!

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