神のなさることは、すべて時にかなって美しい。神はまた、人の心に永遠を与えられた。しかし人は、神が行われるみわざを、初めから終わりまで見きわめることができない。
伝道者の書3:11
こんな詩に出会いました。
~ニューヨーク・リハビリテーション研究所の壁に書かれた一患者の詩~
【病者の祈り】
大事を成そうとして、力を与えてほしいと神に求めたのに
慎み深く従順であるようにと、弱さを授かった
より偉大なことができるように、健康を求めたのに
よりよきことができるようにと、病弱を与えられた
幸せになろうとして、富を求めたのに
賢明であるようにと、貧困を授かった
世の人々の賞賛を得ようとして、権力を求めたのに
神の前にひざまずくようにと、弱さを授かった
人生を享楽しようと、あらゆるものを求めたのに
あらゆるものを喜べるようにと、生命を授かった
求めたものは一つとして与えられなかったが、願いはすべて聞き届けられた
神の意にそわぬ者であるにもかかわらず
心の中の言い表せない祈りは、すべてかなえられた
私はあらゆる人々の中で、最も豊かに祝福されたのだ
深く考えさせられる詞です。
私たちの願いと、主の思いは違うのです。
主は、私たちの願いを遥かに超え、もっと素晴らしいものを与えようとしてくれています。
今日はこの詩を黙想して過ごしたいと思います。
今、自分に与えられているものは、何なのか。
何の為に私に与えられているのか。考える一日としたいです。
皆さまも、主に与えられているものを考える一日となりますように!