デボーションの必要性【ガラテヤ6:7】

2022年

思い違いをしてはいけません。神は侮られるような方ではありません。人は種を蒔けば、その刈り取りもすることになります。

ガラテヤ6:7

 

どうしてデボーションを、毎日する必要があるのでしょうか?

日曜日に礼拝を守るだけでも大変なのに・・・ とよく聞きますし、その気持ちも分かります。

でも、教会では「毎日聖書を読みましょう」「毎日お祈りしましょう」と言われますよね。

どうして日曜日だけではダメなのでしょうか?

 

私たちは、身体も心も、病気にならず健康であることを望んでいます。

何か身体に不調を感じたら病院へ行きます。

また、多くの人は、特に不調を感じなくても「健康診断」に行って、定期的に病気がないかチェックします。

「早期発見・早期治療」が大切だと知っているからです。

健康な身体で過ごしたいと思っているからです。

では、心の方はどうでしょうか? 身体と同じぐらい健康に気を使っているでしょうか?

ストレスが溜まってきても「これぐらい、誰もが抱えるストレス」と割り切ってしまったり。

ストレス発散でカラオケに行ったり、、 人に会ったり。 お酒を飲んだり。

これらの解決方法は、一時的に、ストレスから解放されたかのように感じるだけで、根本的解決にはなっていません。

根本的解決にならないと、分かっていながらも、「他に方法がないし、手っ取り早く、とりあえずこの方法で・・」と思ってしまっているのです。

そして、良くない事が次々と重なると、聖書の存在を思い出し「主は、こんな私をどう思われているんだろう・・」と思い、聖書をパッと開いてみたりします。

心底、主を求めてパッと開いてみるのです。「主よ。本当に助けて下さい。私は限界です。主よ。私の現状をご存知ですよね??」と思いつつ。

私は、これを何度もしたことがあります・・・ 自分でも切羽詰まっているので「主よ。こんな時だけ頼ってすみません。でも本当に限界なのです・・助けて下さい!!」と心で叫びます。

ある時、もう切羽詰まりどうして良いか分からない状態になり、この様に祈り、主の導きを望みました。

すると、自分の心に、この様な思いが沸き上がりました。

「あなたはどうして、花が枯れてから水をあげるの? 本当に健康を望む者は、早めに治療を受けるハズだよ。」

ハッとしました・・

花の美しさを保つ為には、日々水を与え、日光に当てます。 私がしている事は、枯れるまでほっておいて、枯れてから主に持って行き、「助けて下さい!! 枯れてしまいます!!」と言ってるのと同じです。

聖書に出てくる放蕩息子は、私の事だなと思いました。 普段は好き勝手に飛び出して、どん底に落ちて、頼る所が無くなったことに気が付いて、やっと家に帰るのです。

困った時に、パッと聖書を開いて、答えを望む私の心は、「おみくじ」を楽しむ人と、同じ心理です。

心も、身体と同じで、枯れる前から、健康な時からチェックが必要なのです。

だから、日々のデボーションが大切なのです。

普段から御言葉に触れ、御言葉により、霊的にも精神的にも、整えられるべきなのです。

一朝一夕で信仰が成長したり、品格が磨かれたりしないのと同じで、

日々のデボーションを通して、主を知っていくのです。

これが、自分を守る方法であり、主が喜ばれることです。

「人は種を蒔けば、その刈り取りもする」と聖書に書いてあります。

御言葉を心に蒔けば、必要な時に刈り取る事ができるのです。

罪を蒔けば、罪の代価を刈り取るのです。

悔い改めが遅ければ、その分深い悲しみを刈り取る事になるのです。

 

今日も、デボーションを通して、御言葉を心に蒔きましょう!

デボーションを続けるコツは、時間を決めることです!!

私は昔、通勤電車の中、小さい聖書を読んでいました。またある時は、仕事終わりに、会社の裏に大きな公園があり、ベンチに座って聖書を読んでから帰宅するのを、習慣にしていた時もありました。

いつでも良いのです!

自分が出来そうな時間帯を決めて、主に「予約」を入れて下さい!

「主よ。私は、〇〇にデボーションをします! 主と交わりの時間を持ちたいです!」と。

「予約」を入れたら、主を待たせないようにしましょう! うっかり忘れた・・とかないように・・

今日も、素晴らしい一日をお過ごしください!

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