アサはその神、主に叫び求めて言った。「主よ。力の強い者を助けるのも、力のない者を助けるのも、あなたにあっては変わりはありません。私たちの神、主よ。私たちを助けてください。私たちはあなたに拠り頼み、御名によってこの大軍に当たります。主よ。あなたは私たちの神です。人間にすぎない者に、あなたに並ぶようなことはできないようにしてください。」
Ⅱ歴代誌14:11
ソロモンの子、レハブアム王の時代に、エルサレムは、南北に分断されます。
レハブアムが南ユダ国の始めの王です。2代目はアビヤ、3代目がアサです。
アサ王の父アビヤはわずか3年の治世でしたが、アサ王は41年間ユダを統治しました。その最初の10年の間は「平安を保った」と記録されています。(14:1)
アサ王は、宗教改革を行いました。ユダにある異教の祭壇、高き所を取り除き、アシェラ像を打ちこわしました。そして民に向けて、主を求めさせ、律法を守るようにさせました。
またアサ王は、ユダの町々の防備を教化しました。それが出来たのも、戦いがなく平穏であったからです。
時が流れ、クシュ人(エチオピア)のゼラフが、百万の軍勢を三百台の戦車を率いて攻めてきました。
大軍に攻められてきた時のアサ王の祈りが、今日の御言葉です。
「力の強い者を助けるのも、力のない者を助けるのも、主に変わりない・・・」
素晴らしいお祈りですよね!
ユダ58万 対 クシュ100万という軍勢の比でした。 アサ王は「私たちはあなたにより頼み」と祈ります。こうした戦いに備えてアサは軍備を強化して備えましたが、数としては劣勢でした。
しかし、アサ王は軍備の数に信頼するのではなく、神に信頼したのです。主はアサ王の祈りを聞かれ、クシュに勝利をしました。
その後も、アサ王の実の母マアカが、偶像をつくったりしましたが、アサ王は実の母を王母の位から退けています。
長く平和だったユダが、治世36年の時に、北イスラエルのバシャ王が攻めてきました。
アサ王は、一つの策を思いつきました。それは、北イスラエルと同盟を組んでいる、アラムの王(シリア)王に賄賂を送り、イスラエル王国との同盟を破棄させた後、北イスラエルの背後から攻め込ませるという方法です。
アサ王の優れた政治的手腕で、アサ王は、北イスラエルのアラム王に勝利を得ました。
しかし、アサ王は自分の手腕で目の前の問題を対処し、アサ王の主に頼らない姿勢は、主を悲しまさせる行動でした。
主は、予見者ハナニを通して、アサ王に忠告しました。しかし、アサ王は忠告を受け入れず、予見者ハナニに足かせをつけ、牢獄に入れてしまったのです。
その後、アサ王は足の病気になりました。予見者ハナニに、足かせをつけた通りに自身も歩けなくなったので、この病気の原因はアサ王自身よくわかっていたはずです。
主は、アサ王が悔い改め、主に立ち返ることを期待していたと思います。
しかしアサ王は、主に立ち返ることなく生涯を終えてしまった王です。
古代イスラエルの王たちは、主から離れ、偶像礼拝をする悪い王が多く記録されています。
神殿建設に貢献した良い王と記録されている王もいますが、
晩年は偶像礼拝に背教してしまう王が多いです。 ソロモン王も、アサ王も、良き信仰を持ち、民を治めていました。しかし、晩年には主を忘れてしまう人生を送っています。
これらの歴史を教訓とて、私たちの信仰生活、最後まで気を抜かないで歩み通しましょう。
自分で先走って、あれやこれやと決めて歩まず、今日も一日、主と共に歩みましょう!