何も思い煩わないで、あらゆる場合に、感謝をもってささげる祈りと願いによって、あなたがたの願い事を神に知っていただきなさい。
そうすれば、人のすべての考えにまさる神の平安が、あなたがたの心と思いをキリスト・イエスにあって守ってくれます。
ピリピ4:6-7
有名な御言葉です。これはパウロが書いた手紙です。
パウロがどの様な状況でこの手紙を書いたのでしょうか?
パウロの祈りが聞かれ、心が満たされた状態の時に書いた手紙なのでしょうか?
この手紙を書いた時、パウロは、ローマの獄中にいました。明日死刑判決が出て殺されるかもしれない状態だったのです。ピリピの教会も分裂してしまっていました。
明日、殺されるかもしれない状況の中、この聖句を書いたのです。
パウロの心境はどうだったのでしょうか?
普通の人であれば、牢獄に入れられ、明日殺されるかもしれないという状況で平常心を保つのは無理です。もしかしたら、愛する人に向けて感謝の遺書を残せる人が、いらっしゃるかもしれません。でもその遺書は多分、沢山の涙と共に書かれる遺書になると思います。
パウロは自分の命がいつとられてもおかしくない状態であり、獄中ですから快適な環境ではなく、食べる物も飲むものも十分ではなく、衛生的には最悪な状態だと思います。
その様な環境の中、「何も思い煩わないで・・・」って・・・
「何も思い煩わないで・・・あなた方の願い事を神に知っていただきなさい。」って・・・
パウロはこのような悲惨な状態にありながらも、感謝をもって祈りを捧げたのです。
そうすれば、人知を超えた主の平安で私たちを守ると書いてあります。
日本で現代を生きる私たちはパウロの様な経験をすることはまずないです。
パウロは私たちが経験したこともない環境下に身を置いていても「平安」だったという事です。
私たちはどうでしょうか?
苦難・問題に出合った時、パウロのように感謝の祈りを通し、主からの絶対的な「平安」を手に入れているでしょうか?
思い煩おうと思えば、誰でも思い煩うことが出来る材料があると思います。
仕事のこと、健康のこと、老後、子育て、人間関係、私たちの心配の種はいくらでも終わりなく出てきます。
パウロは、自分の努力で思い煩うのをやめなさいとは言っていません。
思い煩いの種を包み隠さず、全てを主に見せなさい。と言ってるのです。
自分の心の中の正直な思いを、神に向けなさいと言っているのです。
そうすれば人知を超えた主の平安を与えてもらえるのです。
環境や状況に関係なく、「平安」を手に入れれるのです。
これは、「クリスチャンの特権」です。 主に祈れるという事がクリスチャンの特権なのです。
この世界を創造された主が、全知全能の主が、私たちの祈りに耳を傾けて下さり答えて下さるのです。