確かに、私たちは見るところによってではなく、信仰によって歩んでいます。
第2コリント5:7
私たちは、いつも先が気になる。先回りして明日の事を考えたり、もっと先の事を想像したりする。
いつも「今」に集中するより「先」に心が奪われがち。
今していることが、果たして実を結ぶのか。 将来実を結ぶために今どうすればいいのか。
これは、世の中では大切な考えでもある。
世の中で大事なことが、信仰でも大事とは限らない。
信仰は「先」よりも「今」が大事。
私たちは主に信仰告白をして神の子とされ、主の道を歩いているにもかかわらず、いつも先が気になる。今歩んでいる道が果たしてどこに続く道なのか。何のためにこの道を通り、何のための時間を過ごすのか。
「先」にある「結果」や「理由」を知りたがる。
主の道は、1歩1歩、主と共に歩むもの。主もそれを望まれている。
もし巨大な山が目の前にあると分かったら、私たちは登る前から諦めてしまうかもしれない。
1歩も進まず、どの道から登るのかと言うのを考え始めるかもしれない。
目の前に巨大な山があるだけで、今はまだ平坦な道であっても進むのを躊躇するかもしれない。
今はまだ平坦な道にいながら、希望を持てなくなったり、気が重くなったりする。
もしかしたら、巨大な山に見えているが、思ったより登りやすい道かもしれない。
もしかしたら、その山にはトンネルがあり登らなくても先に進めるかもしれない。
主が望まれるのは、先々を心配せず、主の歩調に合わせ1歩1歩前進すること。
今歩いている道だけを考えて、主との旅路を楽しむ事。
目の前に見えるものが全てではない。