主の手を離す時はどんな時か【詩編62:5】

2021年

私のたましいは黙って、ただ神を待ち望む。私の望みは神から来るからだ。

詩編62:5

 

主と歩調を合わせよう。

私たちは主が、いつも共にいて下さり導いて下さると知っている。

私たちの人生は長い旅である。

今この瞬間は、旅路である。

この長い旅は一人で歩むのではなく、主が私の手をしっかり握って歩む旅である。

しっかり主の手を握り返し、歩めばいいものの私たちは直ぐに主の手を離してしまう。

どんな時に主の手を離すのだろう?

少し先を覗こうとする時。

自分が考えらえるあらゆる可能性を考え計画をたてようとする時。

無意識に自分から主の手を離し、主を一人にする。

主の手を離し一人で彷徨うから、不安や恐れがやってくる。

そして傷つき孤独を感じたり絶望を感じたりする。

体も心もボロボロになってから、主を探す・・・という事を繰り返している。

人間って本当に哀れな存在です。

私たちは小さな子どもを通して、こういう場面を何度も見ている。

小さな子どもは、直ぐに親の手を離して知らない道でも先に行きたがる。

「ダメだよ! 危ないよ!」と声をかけても聞こえていないことが多い。

親は子どもを追いかけて力で引き留める。「知らない所をどうして一人で先に行くの?」

親が止めないと、子どもは完全に迷子になってしまう。

 

私たちと主との関係もこれと似ている。

ただ、主は追いかけて力で引き留めることはしない・・・

主は無理にご自分の方に向かせることはしない。

私たちが自ら帰ってくるのを待っておられる。

 

どうしたらいいんだろう・・・

瞬間瞬間自分の手は主の手をしっかり握り返しているかチェックすること。

少し先を覗きたくなった時は、手を離してしまう時なので注意する。

あらゆる可能性を考え、プランを立てる時!

まず、自分が主と共に歩めているか、先に一人で道を歩もうとしていないか考えよう。

主を思い起こすことを習慣としよう!

私たちの旅はいつか終わる。

御国を目指し今日も主と共に旅をしよう!

タイトルとURLをコピーしました