万軍の主は誓って仰せられた。「必ず、わたしの考えたとおりに事は成り、わたしの計ったとおりに成就する。
イザヤ14:24
先日、ブログでヨシュアの話を書きました。(12/7)
カナンの地を目の前にし、ヨシュアは民に
エリコの城壁を、一日一周、7日をかけて回るように…
そして注意事項として
あなたは叫んではならない
あなた方の声を聞かせてはいけない
口から言葉を出してはいけない
と、同じことを三度言葉を変えて言ったのです。
「7周終えるまで ‟黙って” 従って欲しい」と念を押したのです。
壁は一周する度に少しずつ壊れて来たのではなく、
6周を終えても何の変化もなかったのです。
先日、この御言葉のブログを書いてから、
この時の民はどう思っていたんだろう…と
ずっと心に残っていました。
6周まで何も起こらなかったのです。
目に見えて何の変化も見れなかった。
当たり前のように「これって意味がある?」
「何も起こらなかったらどうするの?」
「本当に主の御心なの?」
「(主の声を)聞き間違いじゃないでしょうね?」
と民は言いそうです。
私がこの時の民なら「本当に主の御心なの?」と言ってそう…
だって、何の変化も見えないから。
「何の変化もない」という点において、
これは本当に主の御心なのか?
今、大勢でしている事に意味があるのか??と
正当性を主張しそう…
私たちが「当たり前」と思っている事
「正しい」と思っている事
「普通」だと思っている事
…主にとっては、そうでない可能性が大いにあるのです。
私の目に写る事実が、全てではない…
私たちが、主を計り知る事は出来ない。
どことなく、一周回るごとに少しずつ壁が崩れる事を想定してしまう私たち。
しかし、主の方法は、
7周回って時の声を上げたら
時が完成するのです。
前触れなしに、時が来たら一気に‼
カナの結婚式のぶどう酒も、同じかもしれません。
80~120ℓはいる水瓶6つに水をいれる…
全てに水を汲み、イエスさまは
「さあ、今くみなさい。そして宴会の世話役のところに持って行きなさい。」
と言われました。
全てを汲み終えて、主の時が来たのです。
全て汲み終えないと主の御業はみれない…
全て汲み終えるまで、
私たちの目には何の変化もない水なのです。
大きな水瓶…水を入れるのは簡単な事ではなかったはず。
途中でやめなかった。
途中で「水をいれて何になるの?」と不満をこぼさなかった。
イエスさまの母は、手伝いに
「あの方が言われることを、何でもしてあげてください。」
と言っていました。
だから、手伝いは従えたのかもしれません。
ヨシュアが、民に3度も
「7周終えるまで ‟黙って” 従って欲しい」と念を押したように…
私たちは、聖書を通して、
主のこの特性を知る事が出来ます。
主の時を黙って待つ。
主は前置きなしに、一気に働かれる方。
主は誓っておられます。
「必ず、わたしの考えたとおりに事は成り、わたしの計ったとおりに成就する。
PS. 今日も、心を込めて一言、心の中でお祈りお願いします。「主よ。あの土地が私たち(LOVE BIBLE)に与えられますように!」(ブログ2023.04.28~)