主がYouTubeで御言葉を語られたら…【伝道者3:11】

2024年

神のなさることは、すべて時にかなって美しい。神はまた、人の心に永遠を与えられた。しかし人は、神が行われるみわざを、初めから終わりまで見きわめることができない。

伝道者3:11

昨日のブログで「主はどうして天に帰られたんだろう?」と

以前から、ずっと何となく思っていたと書きました。

私は、聖書を読む度に「あー、一度でいいからイエスさまのメッセージを直接聞いてみたかったな~」と思っていたのです。

イエスさまの話を聞こうと、いつも群衆が集まっていました。

私も、群衆の中の一人になりたかった…と思っていました。

イエスさまから直接話を聞けるなんて…

凄く感動ではないですか?

一生忘れず、記憶出来そう…

その時代に生きていた人が羨ましい!と思っていました。

そしてふとこんな事を想像してみたのです。

もしその時代に生きていた人が、

今の時代を覗いたとしたら、どう思うんだろう?

「えぇぇぇぇ~‼ イエスさまの話! 本にまとめられてるの⁈

しかも、自由に買えるの??」って驚くかもしれない。

私たちはイエスさまに会おうと、長旅をしてやっと会えるのに。

今の時代の人には、信じる者には聖霊さまが与えられるの??

なんて恵まれた時代の人たちなんだ‼

と言うのではないでしょうか。

そして私の想像はまだまだ続き…

もし今の時代にイエスさまがいらっしゃったら…

どんな風に天の父を教えられるんだろう?と考えました。

イエスさまがSNSやYouTubeをされたら…(笑)

世の中はどうなるでしょうか…?

私の頭で主の御業を想像する事は出来ません。

多分、私の頭では考えられない、

思いつかないメッセージをされるんだと思います。

聖書の時代の人々も、イエスさまの口から出る一言一言に

感嘆したのです。

人々は「この人は大工の息子ではありませんか。彼の母親はマリヤで、彼の兄弟は、ヤコブ、ヨセフ、シモン、ユダではありませんか。」

と言ったのです。

あり得ないという意味だと思います。

人間は、今まであったもの、今まで起こった事、慣例とする事、常識の範囲を

越えると受け入れがたいのです。

律法を守っていた人々にとって、

イエスさまが安息日に癒しを行なう事は批判するべき事なのです。

律法学者やパリサイ人はイエスさまに向かって

「神のほかに、だれが罪を赦すことができよう」と言いました。

あなたは一体何者ですか? 病を癒すとは!

あなたは一体何者ですか? 罪を赦すとは!

目の前でイエスさまの御業を見ても、

「それはあなたがする事ではない」

「あなたの様な者がするべきではない」

「それは神の領域」

この様に思ったのです。

自分達の経験、常識、慣例などを越えると

人は受け入れがたいのです。

当時、イエスさまの御業を直接見て(しかも何度も)

人々は主に感謝しました。

「主を信じます」「主よ愛します」

「主よ感謝します」「主に従います」と告白した人も多いはず。

しかし、その反面、否定的な声も多かったのです。

現に人間は、イエスさまを十字架に架けてしまっているのですから。

イエスさまがYouTuberとなって福音を語られたら…

神の国について語られたら…

それらは全て、私たちの常識を超えてしまうのです。

世界中で見る事が出来るYouTube。

反乱が起きると思います。

イエスさまを信じる者と信じない者との戦い、

戦争が起きるかもしれません。

そんな想像をしてみて…

やっぱり、主が天に帰られたのは大きな意味がある。

それが正解なんだ…と思いました。

神のなさることは、すべて時にかなって美しい…

今日はこの御言葉を持ち続けます!

PS. 今日も、心を込めて一言、心の中でお祈りお願いします。「主よ。あの土地が私たち(LOVE BIBLE)に与えられますように!」(ブログ2023.04.28~)

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