からし種ほどの信仰って大切【ルカ17:5】

2024年

しかし主は言われた。「もしあなたがたにからし種ほどの信仰があったなら、この桑の木に、『根こそぎ海の中に植われ』と言えば、言いつけどおりになるのです。

ルカ17:5

病院での夜勤勤務。

夜の10時に、各病棟から助手が

総合病院の1階に集まり、

除菌シートで、手すりやカウンター、イスなどを拭く作業があります。

1階は受付や、診察室、待合室、検査室などがあり、

集まった時は真っ暗です。

電気をつけ、拭き終わると電気を消します。

そして次の作業をする場所に移動するのです。

電気を消して、明るい所に出るまで数十メートル真っ暗です。

いつもポケットに入れている病院のスマホ(ナースコール用)の

ライトを付けて歩きます。

昨日、同僚Aさんが電気を消しに行きました。

そして明るみに出ようとしたら

ポケットにスマホがなかったのです。

スマホがないと、物にぶつかって倒したりしたら大変。

明るみで待ってた私がスマホを出して、Aさんの足元を照らしました。

しかし自分が照らして歩くのとは違い、Aさんにとっては

進行方向から照らされたライトは歩きにくい様子。

私は自分のライトでAさんを迎えに行きました。

そして2人で私のスマホのライト1つで明るみまで戻ろうとしました。

「こんなに小さな光でも、あるのとないのとでは大違い…」と思いながら歩いていました。

歩いている道中、私たちの後ろからBさんが来ました。

病棟が忙しく、1階に降りてくるのが遅れた様子。

そしてBさんのスマホのライトが加わり、

3人で2つのライトで歩きました。

私1つのライトより、小さくても2つライトがあると

大きな違いを感じました。

自分の病棟で働いている時も、

個室の方から夜中にナースコールがあり、お部屋に入り

用を済ませて、病室の外に出ようとする時、

真っ暗な場合が多いです。

病室のドアなんて僅か2mぐらい…すぐそこです。

しかし、スマホのライトをつけないと、

なにかにぶつかってしまうのではないか…という不安を感じます。

ライトが信仰のように感じました。

信仰を持たず、人生を生きるって

暗闇の中を歩くようなもの…

何かが起こるんじゃないか、問題が生じるんじゃないか…と言う不安。

しかし、小さな信仰でもあれば、大きな助けになります。

自分の周り全体を照らす事は出来なくても

自分の進むべき足元だけは見えるのです。

小さな小さなライトって偉大…

それと同じように、小さな小さな信仰さえあれば、

私たちはもっと安心感を感じながら人生を歩めるんだ…と思いました。

そしてその小さなライトは、

ライトを持たない人と共に歩む時でさえ、

役に立つのです。

私が明るみに立ち、Bさんが暗闇に立っていた時、

私の方から「こっちだよ!」とライトでサポートしてあげるより、

Aさんの方に行って、共に同じ方向を目指し歩く時、

ライトは凄く役に立つ…

ライトとしての役割を果たし、私たちの進むべき道を照らしてくれたのです。

そして、その小さなライトは1つより2つあれば、

一層、心強く感じました。

イエスさまは、私たちと離れた所から

私たちに道を示されたのではなく、

まず、イエスさまが私たちの方に来て下さったのです。

そして、進むべき道を照らされたのです。

今、私たちには聖霊さまという光、ライトが与えられています。

聖霊さまを持つクリスチャンが、

同じ方向を目指し、共に歩む時、

大きな力が発揮されるんじゃないか…

1人ひとりの信仰が小さくても、それが集まり、

同じ方向を見つめる時、

ライトを持たない多くの人たちにとっても

それは道しるべとなるのではないか…と感じました。

からし種ぐらいの信仰。

それは、全てを照らす事が出来るほどの大きなライトがなくても、

からし種程のライトさえあれば、

自分の足元を導けるのです…

信仰が成長すれば、ライトの光は一層大きく、

遠くまで照らす事が出来るかもしれません。

だから、私たちは信仰の成長を望み、

日々、主を知っていくという過程が必要なのです。

自分の為にも、隣人の為にも…

PS. 今日も、心を込めて一言、心の中でお祈りお願いします。「主よ。あの土地が私たち(LOVE BIBLE)に与えられますように!」(ブログ2023.04.28~)

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