それで、ヨシャパテは地にひれ伏した。ユダのすべての人々とエルサレムの住民も主の前にひれ伏して主を礼拝し、
ケハテ族、コラ族のレビ人たちが立ち上がり、大声を張り上げてイスラエルの神、主を賛美した。Ⅱ歴代誌20:18-19
自分ではどうする事も出来ない事、
自分では解決できない事、
その様な困難に出会った時、
私たちは「絶望」を感じます。
私たちは、人生で何度もこのような事を経験します。
そしてその度に「こればかりは…(本当に最悪だ。無理だ)」と思うのです。
旧約聖書に「ヨシャパテ」という南ユダ王国第4代王がいます。
ユダ国で、一番主に喜ばれた王様は「ダビデ王」です。
ヨシャパテ王は、ダビデ王の孫にあたります。(ダビデ王➡アサ王➡ヨシャパテ王)
聖書を読むと、「ヨシャパテ王は、ダビデの道を歩んだ」と記されています。
ある日、ヨシャパテ王は、敵が目前まで攻めてきたことに気付いたのです。
平時だと過ごしている時に、突然現れたおびただしい大軍。
これこそ、絶体絶命。
完全な敗北、そして領土を奪われ民は捕虜となるのです。
私がヨシャパテだったら、
一刻も早く兵士を整え、武器を準備し、上の者たちを集め、作戦会議を急ぎます。
考えうる限りの準備をし、
そして私は祈ると思います。
「主よ。私たちには、これしかありません。どうか助けて下さい。私たちの力ではどうする事もできないのです…。あなたの介入を望みます…」
ヨシャパテ王はどうしたのでしょうか。
ヨシャパテは、
ユダとイスラエルの全住民を集め、礼拝したのです。
そして大声で賛美をしたのです。
そして、次の日、軍隊の先頭に聖歌隊を配置しました。
戦闘兵士が戦うことよりも、神を賛美することを優先したのです。
結果的には、ヨシャパテ王が勝利を収めました。
…私の発想にはない方法です。
礼拝なんてしてる場合じゃないし、
賛美なんて出来る状態ではないのです…
「私の方法」と「主の方法」は違う。
「私の計画」と「主の計画」は違う。
「私の発想」と「主の発想」は違う。
「私の対処」と「主の対処」は違う。
私と主は、全く違うのです。
どちらが正しいのでしょうか。
主が正しいお方なのです。
主の方法で戦うべきなのです。
…今、私はこどもの学校で、ヨシャパテ状態です。
学校側には弁護士が何人いて、
学校経営は理事会に権利があるのです。
保護者には何の力もない…
私は今、色んな事をしています。
沢山の機関に、不正を訴えに行き、介入を求めています。
沢山の人に会い、知恵を貰い、人脈を増やしています。
そして保護者が正しい情報を認識するように、
Zoom配信しています。
今までにした事がない事。
自分には出来ないと思っていた事。
自分には苦手な事。
沢山しているのです。
多くの保護者は理解し、協力しようと姿勢を持ってくれますが、
全く今まで知っていたけれど関心がなかった保護者に限って、
私の説明を聞いて反対意見を言われます(笑)
個別に丁寧に説明を繰り返し、その人の心を掴むしか方法がありません。
私の今の生活に、1ミリもの余裕がない…
そんな時、ヨシャパテ王を思い出しました。
主はヨシャパテに
「これはあなたたちの戦いではなく、神の戦いである」と言われました。
勿論、主が戦われるからといって、
私が何もせず傍観していれば良いのではなく…
私のやるべきことがある。
それは、権力ある機関に訴えたり、権力者を探すのではなく、
主に賛美すること。
ユダの人々は、戦いの前も、戦いの最中も、戦い終わっても主を賛美しました。
そこに主の御業が起こったのです。
私は、今、もう一度立ち止まろう。
そして、まず主を賛美しよう。
自分の力量を超える問題に遭遇した時、
絶体絶命の時、
どうして良いか分からない時、
自分で解決できない時、
ヨシャパテを思い出して下さい!
まず…礼拝です。
まず…賛美です。
PS. 今日も、心を込めて一言、心の中でお祈りお願いします。「主よ。あの土地が私たち(LOVE BIBLE)に与えられますように!」(ブログ2023.04.28~)