モルデカイはエステルに返事を送って言った。「あなたはすべてのユダヤ人から離れて王宮にいるから助かるだろうと考えてはならない。
もし、あなたがこのような時に沈黙を守るなら、別の所から、助けと救いがユダヤ人のために起ころう。しかしあなたも、あなたの父の家も滅びよう。あなたがこの王国に来たのは、もしかすると、この時のためであるかもしれない。」エステル4:13-14
今日、近所のスーパーに行ったら、妹と偶然会いました。
近くに住んでいるのですが、お互い忙しく、
最近、会う事がなく過ごしていました。
スーパーで買い物しながら、
妹が私に「最近、次男はケーキ焼いてないの?」と聞いたのです。
私「あ…忘れてた(笑) そう言えば、長らく焼いてない(笑) 」
その一言で、思い出したのです。
次男は中学生の時、ケーキやクッキーなど洋菓子を作るのにハマっていました。
自称「スイーツ男子」だと言っていました。
週に何度かケーキを焼いて、
焼くごとに食べていたら、恐ろしい事になるので…
妹の家におすそ分けをしていたのです。
私の中では、遥か昔の事のようですが、
妹の一言で、当時の事を思い出しました。
次男は「ケーキを焼いてみたい!」と言い出し、
一緒にネットでパウンドケーキのレシピを検索し、
必要な道具を揃えたり、
また、次男は日頃から料理をしていた訳ではないので、
卵を割るのも一苦労だったのです。
何処の家庭でも同じだと思いますが、
子どもが「お手伝いしたい!」と言えば、
子どもにしてもらって「助かったわ~ありがとう!」と言う流れになりますが、
実際問題、親が1人で作ってしまう方が、
早いし、楽なのです。
親にとっては、お手伝いをしてもらう為の準備が大変です。
時間もかかるし、失敗もするし、散らかるし…
何処の親も同じだと思います。
しかし、親は手間がかかっても、子どもにお手伝いをしてもらう事を許可するのです。
どうしてでしょうか。
「今日は凄く忙しくて、ママひとりでするね。また今度お願いね」
「今日の料理は、難しくって…また今度…」
「ママは、〇〇ちゃんに怪我をして欲しくないの」
などなど、何かしらの理由をつけて、
断る事も出来るはずです。
どうして、子どもがお手伝いをすると言ったら、
親は手間をかけてでも、参加させようとするのでしょうか。
今日の食事を作るのに、子どもの助けが必要な訳ではないはずです。
子どもが参加すれば、手間がかかる…
しかし、手間がかかったとしても、
子どもに経験をさせたい。達成感を与えたい。興味を持たせたい。
料理の楽しさを味わってほしい…
親側にも、色々な理由があり、子どものお手伝いを認めるのです。
主と私たちの関係に似ています。
主は、私たちを用いたいと思っておられます。
まだ福音が届いていない地域に、人に福音を伝える事を願われています。
私がいないと、私の助けがないと、福音は届かないのでしょうか。
主は、私たちが働かないと何も出来ないのでしょうか。
そんな事はありません。
モルデカイがエステルに言った言葉。
「あなたがこのような時に沈黙を守るなら、別の所から、助けと救いがユダヤ人のために起ころう。」
エステルが勇気を出して、動かないなら、用いられようとしないのならば、
主は別の人を用いられる…
主は、私たちに自由な選択を与えられています。
主に用いられようとするか、それとも避けようとするか、
私たちが選ぶのです。
しかし主は「私が」共に働く事を望まれています。
それは、主が1人では出来ないからではなく、
「私と」共に達成感を、喜びを分かち合いたいからです。
子どもはお手伝いをして、
単に「自分にも出来た!」と言う
喜びだけを感じているのではないのです。
大好きなママの役に立ったと思って喜ぶのです。
私たちも、主に用いられ、働く時
「主の御用に役立つ事ができた!」と言う喜びに満たされるのです。
それが自分の人生の喜びとなり、
私は私の人生で良かった!
私は私で良かったと思えるのです。
主は、そんな私たちと「生きるという喜び」を共に喜びたいのです。
喜びのシェアです。
主は、私たちの知らない所で、全てを整えて下さっています。
全てのシナリオを持っておられ、
全てを準備されているのです。
親は子を愛しているから、手間がかかってもお手伝いをしてもらい
喜びを共に味わいたいのです。
子どもの成長をみたいのです。
主は、私たちを愛して下さっているから、
私たちの気持ちをシェアしたいのです。
勇気を出して、主に仕える者となりたい。
そしてその喜びを主と共に感じたい…
PS. 今日も、心を込めて一言、心の中でお祈りお願いします。「主よ。あの土地が私たち(LOVE BIBLE)に与えられますように!」(ブログ2023.04.28~)