主はあらしの中からヨブに答えて仰せられた。
知識もなく言い分を述べて、摂理を暗くするこの者はだれか。
さあ、あなたは勇士のように腰に帯を締めよ。わたしはあなたに尋ねる。わたしに示せ。
わたしが地の基を定めたとき、あなたはどこにいたのか。あなたに悟ることができるなら、告げてみよ。
あなたは知っているか。だれがその大きさを定め、だれが測りなわをその上に張ったかを。ヨブ38:1-5
昨日に引き続き、ヨブ書です。
ある日突然、10人の子どもと財産を失ったヨブ。
それでも、ヨブは主の前に出て礼拝しました。
悲しみの深みに落ちる事は簡単だったと思います。
しかし、ヨブはまず礼拝したのです。
そして自分の置かれた状況によらず、主を崇めたのです。
愚痴の1つもこぼさず…
しかし、追い打ちをかけるかのように、
ヨブは、病に侵されるのです。
苦難があり → 置かれた現実に目を向けず、主に目を向けた → 病にかかる
追い打ちです…
ヨブの信仰は立派ではないでしょうか?
子どもと財産を失っても主を崇めたのに…
更に苦難が襲ったのです。
ヨブを心配し、友が寄り添おうとやってきます。
しかし、ヨブの姿を見て、更に友が追い打ちをかけるのです。
良かれと思ってかける声は、一層ヨブを苦しめる事に…
ヨブは今までで経験した事がない事が、一日の内に起こり「最悪」な経験をしました。
これ以上の「最悪な事」はない…と思える状態だったのに、
最上級の最悪な状況 + 病 + 友から追い込まれるのです。
ヨブ記を読むと、ヨブは途中から「主よどうしてですか…」と訴えています。
しかし、主は最後までヨブにその答えを告げられませんでした。
私たちは聖書を読み、ヨブの困難は「サタンからの試み」だと分かっています。
しかし、主は最後までそれをヨブには言われませんでした。
主はヨブに「どうしてですか」の質問に対して
ヨブに「問い」を語られたのです。
それが今日の御言葉の箇所です。(38-39章)
世界を作ったのは誰か。
この世界を摂理を持って運営しているのは誰か。
主は、ヨブの「どうして」という質問に対して
このような「問い」を語られたのです。
これはどの様な意味があるのでしょうか。
…私たちは、毎日、色々な物を目にします。
太陽や月、星、海、木々、草花、動物、鳥、風、雨、山や川…
しかし、それらがどの様に造られたのか、
それがどの様なメカニズムなのか、分かっていません。
毎日、当たり前のように目にしていますが、
私たちはそれらのどれ一つ、造る事はできませんし、
私たちがそれらを秩序をもって管理する事もできないのです。
毎日、目にしていても理解出来ていないのです。
私たちには限界があるのです。
私たちが主を理解する事は出来ないのです。
私の目に「正しくない」と思えても、
それは私の視点での判断であり評価なのです。
主の視点はもっと高く広く、宇宙全体を管理されておられるのです。
ヨブは、自分にどうしてこのような事が起こったのか、
主からの直接的な理由は聞かされませんでした。
しかし、主が偉大な方であり、
自分を含む宇宙を支配されている方であるという事を、感じたんだと思います。
主の問いを聞き、ヨブは謙遜になったのです。
自分には主の計画を理解しきる事は、到底出来ない…
このような小さな存在の自分が、神の計画とその理由を求める事が
いかに高慢な思いであったか…と気付いたんだと思います。
私たちがヨブから学ぶ事は、
良いものを受けても、悪いものを受けても、
主は信頼するべきお方であるという事。
悪いものだと感じることは、
自分の罪からの罰ではない。
どうしてそのような事が起こるのかは、
私たちには理解できない事だという事です。
「主よ。どうしてですか?」と聞く事が悪い事ではないと思います。
しかし、多分、主はその理由を語られない可能性が高いと思います。
私たちの視点が低いから…
理解に限界があるから…
そう考えると…
「いつか神さまに会ったら、絶対に聞いてみたい事がある!」と自分の人生において
沢山の腑に落ちない疑問点…
多分… 神の御国で主に会ったら…
その存在だけで、私たちは何の疑問もなくなるように思います。
多分、自分の理不尽だと思っていた人生の全てを理解し、
また全てを感謝出来るのだと思います。
PS. 今日も、心を込めて一言、心の中でお祈りお願いします。「主よ。あの土地が私たち(LOVE BIBLE)に与えられますように!」(ブログ2023.04.28~)