何も思い煩わないで、あらゆる場合に、感謝をもってささげる祈りと願いによって、あなたがたの願い事を神に知っていただきなさい。
ピリピ4:6
私たちの人生な、嬉しい事が多いでしょうか。
それとも辛いことが多いでしょうか。
そんな事を考えていると、今日のタイトルの言葉に出会いました。
人間とは、もともと生き辛く感じるように設定され、生まれた…という事です。
仏教の開祖であるゴータマ・ブッダが、「人生は苦である」と2500年前に言った言葉を、現代風に言い換えたようです。
確かに… 嬉しい事より辛い事の方が多いように感じるかもしれません。
生きていれば、願う通りにいかない事も多く、
解決して行かないといけない問題も多いのです。
もし「人生は苦だから」と捉えるのであれば、
私たちは生きる事が辛い事でしかないのです。
もともと、人間は生き辛く生きて行くものだから…
これは全く的を外れた言葉ではないと思います。
私たちはエデンの園から出て、今の世界で住んでいるのです。
私たちには、罪と死を持ち、生きているのですから…
「苦」であるとも言えると思います。
しかし、主は私たちに「生きる事は苦」という事を望まれてはいないのです。
苦しみ嘆き、心配し思い煩いに悩ませされる人生を、
私たちに強いられる方ではないのです。
「わたしの平安をあなたがたに与えよう。わたしの平安は、世の平安とは異なる。あなたがたの心を動揺させてはならない。また、恐れてはならない。(ヨハネ14:27)」
主は私たちが平安の内に歩む事を望まれているのに…
私たちは思い悩み、煩いを感じています。
どうしてでしょうか。
沢山の理由があるかもしれませんが、
まず思う事は、私たちの間違って身に付けてしまった「習慣」に問題があると思います。
今日の御言葉を見ると、答えがあるように思います。
何も思い煩わないで、あらゆる場合に、感謝をもってささげる祈りと願いによって、あなたがたの願い事を神に知っていただきなさい。
主が言われている事は、
まず「感謝の祈りを捧げる事」
そして「私たちの願いを聞いて頂く事」なのです。
しかし、私たちは反射的に「心配」から始めてしまうのです。
心配や恐れ、不安など「苦」と感じることに、どっぷりと漬かってしまうのです。
あぁ…どうしよう…
もうダメだ… 方法がない…
どうしよう… どうしよう…
こうしてみようか… もしくはこれはどうか…?
やっぱりダメだ…
不安や思い悩みで心を満タンにしながら、
ああでもない。こうでもない。
信頼できる人にも相談を繰り返し、
そして… 私たちはこう言うのです。
「もう、主に祈るしかない…」
「もう、主に委ねるしかない…」
この言葉… 私も時々言ってしまっているのですが…💦
自分で解決しようと思ったけれど、
全く方法がない! 自分でどうする事もできない!
だから、もう主に頼むしかないんじゃないか?という心理です。
このように文字にすると、主への到達の順番が遅いのではないかと感じると思います。
「もう、主に祈るしかない」
「もう、主に委ねるしかない」
と言うのは、自分で問題を握らず、
主に委ねているつもりで発している言葉だと思いますが、
本当は違います。
私は解決しようとあらゆる方法を考えたけれど、どうも方法がないので、主よ。あなたが助けて下さい。という意味だと思います。
これは、私たちの反射的に持つ間違った習慣なのです。
主が聖書を通して言われている事は、
まず、感謝し、まず、祈りなさい。です。
自分で思い悩むことを望まれていないのです。
思い悩む事を辞め、感謝し、祈り、願いを聞いてもらう。という順なのです。
そして「どんな時でも」と書かれています。
人生が虚しく感じる時、
孤独を感じ寂しくなる時、
寂しく感じる時、
祈りに集中できない時、
信仰に確信が持てない時、
どんな時にでもです。
思い悩む事を辞め、感謝し、祈り、願いを聞いてもらう。という順番が、
主の順番なのです。
こんな時に感謝なんて…でない…と思う事も多いと思いますが。
感謝は何でも良いのです。
今日も命を与えて下さり感謝します。
主が今日も生きておられる神であることを感謝します。
主が私の神である事に感謝します。
主に祈れる事に感謝します。
今日も私を愛して下さっている事に感謝します。
私に小さな信仰を与えて下さっている事に感謝します。
…感謝が言葉にならない時は、
「主よ。感謝します。」と言う言葉を、繰り返すだけでも良いのです!!
私たちは反射的に間違った順序を身に付けています💦
意識しないと変える事は難しいです。
主の順番を意識して、今日を過ごしたいと思います。
PS. 今日も、心を込めて一言、心の中でお祈りお願いします。(ブログ2023.04.28~)
「主よ。あの土地が私たち(LOVE BIBLE)に与えられますように!」