ですから、私たちは聞いたことを、ますますしっかり心に留めて、押し流されないようにしなければなりません。
へブル2:1
最近、主との関係はどうでしょうか。
私の知り合いで、いつ話をしても安定した信仰を持っているAさんと、
いつ話しても、信仰が不安定なBさんがいます。
Aさんタイプ、Bさんタイプも何名かいるのですが、Bさんタイプの方が多いのです。
どうしてなんだろう…と考えました。
AさんとBさんの違いはなんだろう。
Aさんが時々電話をくれた時、色々と話をするのですが、いつも「〇〇さんのこと祈って欲しい」とか、
今までずっと祈っている人についての今の状態だとか…
Aさん自身の信仰の悩みの話は、殆ど聞いた事がないのです。
Aさんとの会話は、第三者の話が圧倒的に多いのです。
もちろん、幾らかぶりにAさんと話をするので「元気? 最近どう?」などと近況の話をしますが。
それ以上に、〇〇さんが病で… 〇〇さんのご主人が救われて欲しい!とか。
第三者の近況の話が多いのです。
そしてBさんとの会話は、Bさんの話が多いのです。
挨拶も簡単で、近況報告はBさんのだけです。
電話をくれる度に、ため息をついています。
いつも、信仰の揺れについて悩んでいるのです。
自分に問題が生じ、常に悩んでいるのです。神さまはどうして応えてくれないんだろう…と。
どちらかと言えば、「悩みを聞いて欲しい」と言った感じです。
どうしてこのような違いが出るのだろう…と考え…
私が思う結論として、
私たちが主と出会い、悔い改め、罪赦され、神の子とされました。
神の子となった私たちは、主を中心として生きて行くべきなのですが…
価値観の以降の問題ではないか…と思います。
もちろん、完璧に出来る人なんていないと思いますが、自分の生活、人生の中心に主を置こう!と
積極的に思えてるかどうか…ではないかと思いました。
私たちはクリスチャンとなり、今まで通りの価値観で生きる事はできないのです。
この世の中の基準となっている価値観とは違う価値観を持つべき…
私たちはクリスチャンとなっても、この世で生きているのです。
この世の流れに逆らって生きて行かないといけないのです…
人に認められる事を切に求めるのではなく、
お金に支配される生き方から解放される必要もあり、
絶対に〇〇の方が良い!!と当たり前に思っていた思考から、
主が望まれている生き方へと思考をシフト変換して行かないといけない…
これは、一つ一つをしっかりと考えないと、
価値観を移行するというのは簡単ではないと思います。
この世の価値観を持ったまま、主に従うというのはできないように思います。
この世で良いとされるもの、
今まで自分が良いと思っていたものが
主の目に必ずしも良いものではない可能性が高いのです。
まず…
主の価値観が 私の価値観となりますように。
主の目から見て良いものを選ぶことが出来ますように。
主よ。私を神の子らしく整えて下さい。
と、祈っていきたいと思いました!
「主よ。あの土地が私たち(LOVE BIBLE)に与えられますように!」