今、私をここに売ったことで心を痛めたり、怒ったりしてはなりません。神はいのちを救うために、あなたがたより先に、私を遣わしてくださったのです。
創世記45:5
創世記45章では、ヨセフが兄たちに ‟私はヨセフです” と伝えた場面が記録されています。
私はヨセフが凄いなと思うのは、
自分がヨセフだと伝え、そしてすぐ今日の御言葉である
「 今、私をここに売ったことで心を痛めたり、怒ったりしてはなりません。神はいのちを救うために、あなたがたより先に、私を遣わしてくださったのです。」
と、兄たちに言ったことです。
私たちは人を赦す事が凄く難しいです。
多くの人は、ヨセフのような ‟兄弟に奴隷として売られた” 位の事をされた事はありません。
ヨセフの試練より、私の心の傷は、人間的な目で見るともっと軽い気がします。
しかし、私は長年、私を傷つけた人を赦す事が出来ず、
私は凄く凄く、主に不満をぶつけました。
「私は絶対に、絶対に許しません。相手が、私と同じぐらい傷つき、同じ時間苦しめば、私は許します。それまで私は絶対に許しません!!」
と何度も怒りながら祈っていました。
そんな中、ヨセフ物語を読み、ヨセフのこの45章のセリフを読んで、大泣きしました。
人間的に見れば、ヨセフの人生は ‟兄たちに強いられた人生” です。
しかし、ヨセフは自分の人生を ‟主の計画が成された人生” だと言うのです。
私は、自分の人生を第三者によって ‟強いられた人生” だと思っていました。
この時は求道中だったのですが、
主を信じる者は、同じ人生であっても視点を変える事が出来る…
‟強いられた人生” と ‟主の計画が成された人生” では大きな差があります。
前者は ‟自分が100%被害者” であり、後者は ‟神に用いられた者の人生” だと思えるのです。
自分が傷ついた過去は変える事は出来ないし、なかった事にも出来ません。
しかし、主によってのみ、
自分の苦しい苦しい気持ちを、変える事が出来るのです…
そんな人生があるなんて…
一体イエス・キリストとは、どういうお方なんだろうと驚いた記憶があります。
そして今回、45章を読み続け、
兄たちは、ヨセフと再会した後、父のもとに帰り、父を連れてエジプトに来ることになるのです。
兄たちは… エジプトを発ち、カナンの地へ向かう道中…
どの様な心境だったのだろう…
非情に苦しかったと思います。
兄たちは22年間、父親のヤコブを騙し続けたのです。
ヤコブが悲しみに苦しんでいる姿を見ながら、嘘をつき続けたのです。
そんな事を考えると…
兄たちはヨセフが妬ましかった。いなくなれば良いのに!と何度も思った事だと思います。
殺してしまおう!と思えるほど、憎い弟だったのです。
兄たちは、実際に自分にとって嫌な人を排除し、
ヨセフの姿を見る事がなくなり、清々して、これで平和な日常を送れると思ったはずです。
しかし、実際は凄く凄く苦しい日々だったと思います。
「この人さえいなければ…自分は平和に生きていけるのに…」と、誰もが思った事がある感情だと思います。
しかし、そのような自分にとって嫌な人を排除しても、
心の問題は解決しないのです。
嫌な人を排除しても、問題は解決しないのです。
兄たちは、父親に嘘に嘘を重ねて過ごしてきたのです。
実際に、この22年の間に、ルベン、シメオン、レビ、ユダも…
大きな罪を犯したり… 幸せに穏やかに過ごせませんでした。
兄たちは、カナンの地で待つ父のもとに帰り
ヨセフが生きていること。
エジプトで総理大臣をしていること。
私たち一族が、カナンの地を離れ、エジプトに来て生活して欲しいと言ってるので引越しをしよう。
とだけ伝える事は出来ず…
どうしてヨセフがエジプトで生きているのか。
どうしてヨセフの長服に血が付いていたのか。
ヨセフを売ったこと…
自分達の「嘘の刈り取り」をしないといけなかったのです。
ヨセフは、兄たちが父のもとへ帰る道中、苦しむ事を分かっていました。
だから「途中で言い争わないでください」とまで、ヨセフは言えたのです。
ヨセフはどうして兄たちを許すことが出来たのか…
自分の人生を ‟自分の視点” ではなく ‟神の視点” で見ることが出来たからだと思います。
ヨセフは選択したのです。
自分の人生は ‟兄たちに強いられた人生” ではなく、
‟主の計画が成された人生” であると。
私は自分の不満を、主にぶつけました。
そして、私の不満に対する答えを主に貰っています。
⇩
人を傷付けた人の霊は、傷ついた人と同様に苦しみを味わっています。
このヨセフ物語を読み、ヨセフが苦しんだ22年間、兄たちも父の苦しみ悲しむ姿を見続け、
どれ程苦しい思いをした事でしょう。
兄たちの霊はもがき、兄たちの霊も苦しんだのです。
ヨセフ物語を読むと、
ヨセフを傷つけた兄たちの人生は、
平安とはかけ離れ、霊の苦しみが影響し、兄たちの人生を狂わせているのが分かります。
私たちが感じた苦しみと同じ苦しみ、
私たちが苦しんだのと同じ時間、
傷付けた人も苦しむのです。
主の答えは完璧です。
傷付けた人も、傷つけられた人も、主の癒しが必要なのです…
私たちには、主が必要。
今日も、私のうちに傷がないか、許せない人はいないか…
主に探って頂きましょう!
「主よ。あの土地が私たち(LOVE BIBLE)に与えられますように!」