私たちの人生を決めるもの【創世記40:1-3】

2024年

これらのことの後、エジプト王の献酌官と調理官とが、その主君、エジプト王に罪を犯した。それでファラオは、この献酌官長と調理官長のふたりの廷臣を怒り、彼らを侍従長の家に拘留した。すなわちヨセフが監禁されている同じ監獄に入れた。

創世記40:1-3

12/31からヨセフ物語の部分から書いています。

ヨセフ物語は、終わりがない…

ヨセフは17歳で奴隷として売られ、30歳でエジプトの総理大臣となりました。

この間、奴隷として主人のポティファルに仕えたり、ポティファルの妻により投獄されたりしたのです。

今日の御言葉を見ると、ファラオ王が、献酌官長と調理官長を侍従長に送ったのです。

侍従長とは、ポティファルの事です。

ファラオ王が、ポティファルのもとにいるヨセフと同じ監獄にいれたのです。

ヨセフがこの監獄から出る事ができるきっかけとなった「献酌官」を、主はヨセフのもとに送っていたのです。

ヨセフはこの時はまだ知りませんが、献酌官長と調理官長が投獄された時、

ヨセフの歴史は動いていたのです。

ヨセフには分かりませんが、もうすぐ主がこの環境からヨセフを引き上げる準備をされていたのです。

もっと言えば、ヨセフは投獄されなければ、料理官長と出会う事がありませんでした。

ヨセフがポティファルの妻に濡れ衣を着せられなければ、投獄される事もなかったのです。

濡れ衣を着せられたから投獄され、投獄されたから料理官長と出会えたのです。

その時は目まぐるしく自分の人生が転落していくように見えますが、

全てが必要であり、全てに意味があったのです。

…私たちは、日々食事をします。

偏った食事を積み重ねると、体調や精神にまで影響が及びます。

日々、食べる物、日々摂取する栄養により、身体が作られていくのです。

それと同じで、私たちも日々の選択によって、自分の人生が決まっていくのです。

ヨセフが、もし奴隷として売られた時、これからの人生に未来を感じなく、投げやりに生きたとしたらどうでしょうか。

エジプトの総理大臣にはなれなかったと思います。

ポティファルの妻に陥れられた時、真面目に生きて来たにも拘らず、「どうして主は私を助けてくれないのか!」と腹を立て、信仰を捨てたらどうなっていたでしょうか。

エジプトの総理大臣にはなれなかったと思います。

ヨセフがエジプトの総理大臣になれなかったら、どうなっていたでしょうか。

ヨセフの一家が救いを得る事が出来なかった…というだけではありません。

ヨセフが総理大臣になったことにより、多くの魂が死から守られ、国が守られたのです。

主は私たちに計画を持っておられます。

その計画は、私だけに影響を及ぼすものではない可能性があります。

自分の信仰だけへ影響を及ぼすのではなく、私たちを通して沢山の魂が影響を受ける可能性が高いのです。

それは私たちの日々の選択により、主の計画の通りに成される事もあれば、私たち都合でなされない事もあるのです。

主がヨセフに見せた夢。ヨセフは当時、それが総理大臣だったとは分かりませんでしたが、

主は自分に対して計画があるとヨセフは信じ続けたのです。

人間の目には、見た夢とはかけ離れた環境に自分が追い込まれていきましたが、信じ続けたのです。

ヨセフは主が導かれた場所に居なければならなかったのです。

主は全能なお方ですから、ヨセフに何の苦労もさせず、夢を見させた直後にエジプトの総理大臣に付かせる事も出来たはずです。

しかし、17歳だったヨセフにエジプトの総理大臣が務まったでしょうか。

一国の飢きんの時の舵取りができたでしょうか。

高慢にならず、主に依り頼む総理大臣になれたでしょうか。

ヨセフが立派な総理大臣になるには、時間が必要だったのです。

苦労や、孤独な時間、1人寂しく祈る時間、涙を流す時間、主に依り頼むしか自分が何も出来ないと心から知る時間が必要だったのです。

新しい年が始まるや否や、地震が起こり、事故が起こりました。

ニュースを見る度に心が痛みます。

このような時にこそ、

私たちは信仰を無くしてはいけないのです。

被災された方々の信仰が無くならないように、主を見上げる事が出来るように、

共に祈って行かなければなりません…

常に「主に期待する」という信仰を選択しましょう!!

クリスチャンである私たちがとりなしの祈りを捧げていきましょう!!

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